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禁止薬物の陽性反応でライセンス停止から4年…IBF世界王座を獲った尾川堅一が明かす“地獄の日々”「自分のためならとっくにやめている」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byYuki Suenaga

posted2022/01/23 11:00

禁止薬物の陽性反応でライセンス停止から4年…IBF世界王座を獲った尾川堅一が明かす“地獄の日々”「自分のためならとっくにやめている」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

禁止薬物の陽性反応からおよそ4年、IBF世界スーパーフェザー級王座を獲った尾川堅一

「ベルトをもう一度見たい」と子供たちが言ってくる

 ちょっとでも気を抜けば、自暴自棄が襲ってくる。行きつくところは決まって「ボクシングなんかやめてやる」。だがそのたびに子供たちが言ってくるのだ。ベルトをもう一度みたい、と。

「追い詰められてしまって“世界チャンピオンになるべきじゃなかった”と妻に言ったこともあります。昔、8回戦でアゴを折ってしまってへこんだときに妻から“世界チャンピオンになれるから頑張って”と言われてサポートしてくれて、このときも一緒で……。僕自身、やめようと思っていたけど、もう少し頑張ってみよう、と」

 尾川は異例のキャリアを誇る。

 父の影響で幼少のころから日本拳法を始め、愛知・桜丘高時代に高校3冠。明治大学に進学し、インカレ団体優勝という実績を残してボクシングに転向した。帝拳ジムの門を叩き、全日本新人王、日本タイトル(5度防衛)と順調に出世街道を歩んだ先に、あの出来事があった。周りには離れていく人もいたが、大部分が自分の潔白を信じてくれた。それもモチベーションをつなぎとめる大きな支えになった。

 その年の6月からはようやくジムワークが許された。

世界チャンピオンになれば専用スリッパが用意される

 帝拳ジムには、決まりごとがある。

 日本チャンピオンになれば専用ロッカーが、世界チャンピオンになれば専用スリッパが用意される。ただ自分はノーコンテストとなり、世界チャンピオンはなかったことに。ドキドキしながらジムに入った。

 自分のスリッパはそのまま置かれていた。胸が熱くなった。

「ジムとしては世界チャンピオンだと認めてくれているんだなって思えましたから。ベルトはなくなりましたけど、あのスリッパが僕にとっては大きかった。もしなかったら、気落ちして帰っていたかもしれない」

 いつしか尾川のロッカーには、ミニチュアのおもちゃ版IBFベルトが置かれるようになった。2つ年上の村田諒太の粋なプレゼントだった。担当の田中繊大トレーナーをはじめ、帝拳ジムの仲間たちも自分の帰還を待ってくれていた。それがうれしかった。

 1年のライセンス停止が解け、2019年2月にフィリピン国内王者を相手に再起戦を行なった。多くのファンが詰め掛け、尾川に声援を飛ばした。3-0判定勝利を収めた後、リング上のインタビューで彼は男泣きした。

「涙は自然と出ました。勢いのままバーッと駆け上がってきて結果を残してきて、一気にどん底に落ちて。周りに対する感謝の気持ちがどんどん膨らんできました。信じてくれる人がいるのだから、僕が証明しないといけないと思った。自分のために(ボクシングを)やるんならとっくにやめてます。自分のためじゃないし、自分だけじゃ強くならない。信じてくれるみんなのために“答え合わせ”をしなきゃいけない、と思いました」

 それでも試練は続く。

【次ページ】 支援者やファンに対して手紙を書いた

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