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「見たか、この野郎」因縁の井上直樹と朝倉海を圧倒し、プロポーズも大成功…“UFCに落ちた男”扇久保博正がすべてを手に入れた夜
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by©RIZIN FF Susumu Nagao
posted2022/01/02 17:02
『RIZIN JAPAN GP2021 バンタム級トーナメント』で優勝を果たし、プロポーズにも成功した扇久保博正。井上直樹、朝倉海という難敵を退けた先には、人生最良の瞬間が待っていた
吉田拓郎『落陽』に重ね合わせた人生
そういった経緯があったため、井上との準決勝が発表された11月30日の会見における扇久保の覚悟は尋常ではなかった。取材記者の胸に突き刺さる言葉を次々と投げかけた。
「僕は、あのときから、心の底から幸せだと思ったことはありません。5年前、僕はUFCへの切符を掴みかけました、でもその切符を掴んだのは、当時19歳の彼でした。このトーナメントが始まってから、僕は井上選手のことしか見えていません。リングの上でやっと会えるのが楽しみです」
会見場でこの言葉をダイレクトに耳にしたとき、筆者は「扇久保は自分の人生そのものにリベンジしたがっているのではないか」という仮説を立てた。
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全身から発せられる闘気も目についた。勝負の世界では、5年から10年に一回程度の割合で、“気”で相手を制圧するような試合に出くわす。筆者は「もしや……」と思ったが、この日は決戦の日ではなく、対戦カードの発表会見の日である。そこで頭の片隅にとどめておく程度にした。
というのも、扇久保のこれまでのキャリアを振り返ってみると、チャンスを掴む回数も多かったが、それを逃すことも一度や二度ではなかったからだ。人生初のタイトルマッチ――2009年10月の岡嵜康悦戦はKO負けを喫している。初の大晦日出場となった2019年12月31日の石渡伸太郎戦は判定2-1で勝利を収めRIZINバンタム級王座への挑戦権を手に入れたが、翌年8月に行なわれた朝倉との王座決定戦では、1Rにサッカーボールキックを食らいTKO負けを喫している。
扇久保は吉田拓郎が歌う『落陽』が大好きで自身の入場テーマ曲にするばかりか、YouTubeでは自分で歌ってもいる。同曲の歌詞のなかで、サイコロを振ってまた振り出しに戻るというフレーズがあるが、それは彼の人生そのものではないか。
這い上がってきた男が“因縁の相手”に粘り勝ち
何度躓いても、悪びれる様子もなく扇久保はこう口にする。
「諦めずに、また這い上がっていきたい」
扇久保が持ち合わせていた大きなもの――それは何度辛酸を舐めさせられても這い上がる力だった。2013年3月、堀口恭司を挑戦者に迎えて行なわれた修斗世界フェザー級タイトルマッチでは完敗を喫している。そこには如何ともしがたい実力差があった。失礼を承知でいえば、その差は埋めがたいものだとすら感じた。
しかし、扇久保は堀口との初対決に敗れた後も、当たり前のように這い上がってきた。翌14年には3大会に跨がる形で開催されたVTJフライ級トーナメントで優勝し、15年には修斗世界フライ級王座を奪取している。七転び八起きではないが、キャリアを重ねるにつれ、扇久保は叩き上げられた者だけが漂わせる気概と哀愁を身にまとい始めた。