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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
「これは現実なのか」歴代バロンドール受賞者が選ぶU21最優秀選手、バルサの魂を継ぐスペイン代表ペドリ19歳が語るカンプノウの高揚
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/12/30 17:02
21歳以下の最優秀選手に贈られるコパ・トロフィーを抱いておどけるペドリ。過去2回の受賞者はムバッペとデリフト
家族で目指した《挑戦》はすでに成し遂げたと思うか?
質問者=フェルナンド・ゴンサレス/ペドリの父親
パパは僕にずっと自分よりもいい選手になれと言ってきた(註:父親は元3部リーグ所属の選手だった)。でも彼がプレーしているのは一度も見たことがないから比較はできない。それに彼はGKだったしね(笑)。だから学ぶこともあまりなかったんだ。僕らの遺伝子のなかにあるのはサッカーへの愛だろう。
ただ、父は僕の最初の指標だった。家族はサッカーに情熱を注ぎ込み、僕はそのなかで育った。それがよかったと思う。
初めて試合をしたころのことはよく覚えている。テネリフェにあるバハマルという小さな村で、兄と一緒にボールを蹴って遊んでいた。ふたりで家を飛び出して、即席のゴールを作って道ばたで試合をした。テネリフェでは誰もがそうやって工夫をした。ボールさえあればどこででも楽しめた。カナリア諸島出身の選手はほとんどがその気質を持っている。僕も自分のなかにそれを感じるし、また自由に工夫するのが好きでもある。
他方で学ばねばならないこともある。僕はずっと楽しんでサッカーをやってきたから、勝利への執着心がもともと希薄で、意識的に身につけねばならなかった。カナリア諸島ではサッカーの在り方が違っていた。それが僕にはよかった。というのも他の場所では、無機質な機械のようなサッカーを強いられることになるから。
子供のころに渇望した夢は実現できたのか?
質問者=ジョアン・ミル/ペドリの友人で2020年のMotoGP世界チャンピオン。彼の家の居間には、寄贈されたミルのヘルメットが飾られている
正直にいえば、バルサでプレーすること自体が僕の夢のひとつだった。CLで優勝したり、スペイン代表でワールドカップを制覇するのと同じように。僕もそうしたところは他の子供と変わらない。あるときは消防士になりたいと思ったのは覚えているよ(笑)。
ただ、実際に何をするか選ぶときになると、僕はサッカーを選択した。始めたのは本当に小さなときでまだ3歳だった。ポジションはセンターバックで、今日からは想像もつかないだろう(笑)。その後はフォワードにポジションを変えて今よりも点を取っていた。ミッドフィルダーになったのはその後だ。
みんなと同じで点を取るのはもちろん好きだったけど、ボールをネットに突き刺すよりもラストパスに魅力を感じていた。チームメイトのために、ものごとをシンプルにするのが好きだったんだ。