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昨年戦力外→今はガソリンスタンドで…元ホークス山田大樹が“フリーター生活”の理由「お客様から『ナゴヤドーム観に行ってました』って」
posted2021/12/28 06:00
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Kotaro Tajiri
「レギュラー満タン、かしこまりました!」
189cmの長身を深々と折り曲げて運転席を覗き込む彼は、昨年までソフトバンク、ヤクルトで計14年間プレーしたプロ野球選手だった。
山田大樹さん、33歳。
元祖・育成の星。
そんな異名をとった左腕投手だった。茨城県出身でつくば秀英高校から2006年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。その後支配下登録を勝ちとり、一軍で通算29勝をマークした。
多くの“史上初”を成し遂げるも、20年に戦力外
「育成出身史上初」と球史に名を刻んだことも少なくなかった。10年6月24日、日本ハム戦に先発して9回途中1失点に抑えてプロ初勝利。これがパ・リーグ育成出身初の勝利投手だった。また、その後2勝目はロッテ・成瀬善久、3勝目では日本ハム・ダルビッシュ有との投げ合いを制したことで「エースキラー」とも称された。
11年5月20日の阪神戦ではパ・リーグ育成出身初の完封勝利。そして同年に中日と対戦した日本シリーズでは第5戦に先発して6回無失点と好投し、パ・リーグ育成出身初の日本シリーズ勝利投手にもなった。さらに12年には両リーグの育成ドラフト出身選手として初めて規定投球回もクリアした。
しかし、その後成績が下降。17年オフに無償トレードでヤクルトへ。19年には11先発で5勝を挙げる活躍もあったが、20年は2試合登板で未勝利に終わり、その年限りで戦力外通告を受けた。
「自分のワガママで野球は続けられない」。鍼灸師を目指すも…
同年12月には12球団合同トライアウトを受験した。打者3人に対してフライアウト1つ、奪三振1つ、与四球1つ。最速は142キロだった。かつて130キロ台の“動く直球”が特徴だった大型左腕は必死に腕を振り抜き、いつもよりも速い真っ直ぐを投げ込んだ。トライアウト後、社会人やクラブチームから誘いの声があった。だが、「家族もいる。2人目の子どもが生まれたばかりだし、生活のことを考えると自分のワガママで野球は続けられない」と今年1月に引退を決断していた。
その際、セカンドキャリアについて「鍼灸師の資格を取り、トレーナーとして野球に関わりたい。まずは医療系専門学校に通います。次の世代の役に立てればいい」と夢を語り、妻の地元である名古屋に移り住むのだと教えてくれていた。
ガソリンスタンドでアルバイトを続ける理由
それが一体どうして……? 現在は同市のガソリンスタンドでのアルバイトで生計を立てている。月曜日から金曜日までの午前9時~午後5時まで働き、時給は1000円。
夏頃にその状況を聞きつけていたが、ようやく12月某日、名古屋へ出向いて山田さんと久しぶりに会うことが出来た。