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野球のぼせもんBACK NUMBER
12年戦力外→野球引退後「三ノ宮の駅員」に転身、そして…元ソフトバンク近田怜王31歳「高卒の僕が京都大学で監督をやるなんて」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKotaro Tajiri
posted2021/12/28 11:04
2012年に戦力外通告を受けた元ソフトバンク・近田怜王が、京都大学野球部監督に就任。その経緯を追った
社内の大きな会合があり、その夜に行われた懇親会。そこで近田は見覚えのある顔を見つけた。JR西日本の本社に勤務する長谷川勝洋だった。長谷川は1991~93年に京都大学野球部監督を務めた。近田は同社野球部でプレーしていた際に一度だけ長谷川と会っていた。数年ぶりの再会だったが、挨拶をすると向こうも憶えてくれていた。
「ネットには『会社の上司』と書かれていますが、本社の方で勤務上の接点は全くありません。同僚からは『なんであの長谷川さんと喋ってるの?』と驚かれたくらいですから(笑)。野球がつないでくれた縁のおかげです」
つくづく人の出会いに恵まれていると近田は振り返る。
「もともとJR西日本に僕を引き入れてくれた後藤さんもそう。僕が報徳の時に甲子園で投げた試合をたまたま解説していて、ずっと僕のことを憶えてくれていたらしいんです。ホークスをクビになってトライアウトを受けた時に僕の名前を見つけて『まだ行き先が決まっていないのなら』と声を掛けてくれたんです。あの時、トライアウトに参加していなければ、僕の人生は全く違うものになっていたでしょうね」
そして、長谷川とは引き続き酒席で一緒になった。その中で、「指導者をやってみたいのなら、一度京大を見てみないか」と、近田いわく「軽い感じで」誘われた。「喜んでいきますよ」と二つ返事。ただ、長谷川からは「ヘタクソばかりだからね。自分に合わないと思ったら、一度きりでいいからね」と何度も念押しされたという。
「僕が今まで経験した野球と全然違いました。だけど…」
17年1月。近田は初めて京大野球部を訪れた。
「京大が関西学生野球連盟の中でずっと最下位なのは知っていましたし、そんなに言うからよほどの素人の集まりなのかと最初は思っていました。もしかしたらキャッチボールから教えるのかなって。だけど実際に見るとゲッツーとか連係プレーもしっかり完成させるし、バッティングも普通に良い打球を飛ばす。その中で、一番僕の心に響いたのが、みんなが楽しそうに野球をやっている姿でした。僕が今まで経験した野球と全然違いました。だけど彼らは、楽しいだけじゃなくて真剣に勝ちたいと思っていた。勝ちたいのに勝てない。どうしたらいいですかってすごく真剣で。そんな選手たちを勝たせることが出来れば面白いんじゃないかと思ったんです」
当初は週1回程度の予定だったが、どっぷりと抜け出せない“沼”にハマっていくことになる。そして、京大野球部は近田の加入とともに、かつてない変貌を遂げていくのだった。(つづく)