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藤田一也39歳「えっ、選手一本ですか?」本人も驚いた10年ぶりのDeNA復帰「ハマスタでプレーできたらって心の奥底で…」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byKYODO
posted2021/12/27 06:01
12月10日、入団記者会見に臨む藤田。「言葉に表せない気持ち」と喜びを語った
楽天に移籍した後もDeNAの選手たちとは交流があり、なかでも藤田が頻繁に連絡を取り合っていたのが石川雄洋だった。藤田とは2004年のドラフト同期でDeNAの初代キャプテン。今年3月にプロ野球を引退し、現在はアメリカンフットボールの選手に転身している。4つ年下の同じ二遊間を守る石川は、藤田の野球人生を語る上で欠かすことのできない存在だという。
「同じポジションで右投げ左打ちなので競い合ってきましたが、結局、雄洋には及びませんでした。チームが変わってもその存在は大きくて、雄洋が頑張っているからそれに追いつき追い越そうって気持ちでやってこられたんです」
互いを高め合う仲間でありライバル。藤田には、石川について忘れられない出来事があった。
「雄洋はとにかくケガをしていても試合に出つづけるんですよ。明らかにケガをして僕にチャンスが来たと思っても、雄洋は一度も譲ってくれることはありませんでした。それが雄洋のスタンスでありプロ意識だって」
トレードで得た大きな財産
藤田は楽天でレギュラーを掴んだとき、石川の必死さや姿勢を理解することができた。
「レギュラーを張っているときは痛い、痛いと言えない。あのときの雄洋の気持ちがレギュラーになって初めてわかったんです。ただ僕はケガが多くて年齢とともに若い選手にチャンスを与えてしまうケースが多かった。体のケアや管理といったことも含め、雄洋から学んだことを若い選手たちに伝えていきたいですね」
たしかに藤田は若いときからケガの多い選手であったが、それでもここまで17年間、現役でありつづけることができた。その核となっているのが自慢の“守備力”にあるわけだが、これもまたベイスターズ時代に培われたものだ。
「当時、一軍に残ってレギュラーになるためには誰にも負けない武器を準備しなければいけないと考え、至った結論がさらなる守備力の向上でした。あのとき嶋村一輝さんに誘ってもらって、とにかく毎日早出をしてノックを受け、それをずっとつづけたんです。目標を作り継続することの大切さ。この経験は確実に守備力を高めてくれましたし、楽天時代も継続したんです。今は昔みたいに(量の)練習はできなくなったけど、当時の貯金というか、無駄のない動きを身に付けることができたので、この歳になっても本来のプレーができていると思います」