酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「こんな大金見たことない」 ジャイアント馬場16歳《高校2年で中退して巨人入団》の真相と、知られざる球児時代
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2021/12/20 11:02
存命時のジャイアント馬場さん。巨人軍時代はどんな投手だったのか
このときのテストでは投手7人、捕手1人、内野手2人を獲得したが、いずれもプロでは捗々しい成績を残していない。馬場がテストを受けていれば、合格は間違いなかっただろうが、馬場はテストを受けなかった。
その前に、馬場の自宅に源川英治というスカウトが現れ、馬場を巨人に勧誘したのだ。当時のセ・リーグのスカウトは登録制だったが、源川の名前はそのリストにはない。しかし巨人のコーチだった谷口五郎と行動を共にすることが多かったから、谷口につながる野球関係者だったと思われる。
「こんな大金見たことない」
馬場家を源川スカウトが訪れたのは9月以降だと思われる。まず三条実業を訪れ、野球部の渡辺剛部長に馬場の所在を尋ね、そのうえで実家を訪れた。
源川は支度金20万円、初任給1万2000円を提示した。前年、南海ホークスに入団した野村克也は支度金なし、初任給7000円だったから、それよりは相当良い条件だったが、巨人の新人としては最低ランクだった。
当時はまだ1万円札は発行されていない。1000円札200枚の分厚い束を見せられて、馬場正平も母も「こんな大金見たことない」と驚いて、すぐに入団に同意した。
高校を中退してのプロ野球入団は、1950年の金田正一(国鉄)、1962年の尾崎行雄(東映)など何人かいるが、当時としても珍しかった。「球界最年少ですな」と源川スカウトは馬場に言った。
こうして馬場正平は読売ジャイアンツの一員になった。<第2回に続く>