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朝日杯を勝った名馬バブルガムフェローの運命を変えた“驚きの選択”とは?「当時の常識」を覆した“3歳で天皇賞・秋制覇”の偉業 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph byTomohiko Hayashi

posted2021/12/18 06:01

朝日杯を勝った名馬バブルガムフェローの運命を変えた“驚きの選択”とは?「当時の常識」を覆した“3歳で天皇賞・秋制覇”の偉業<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

1996年の毎日王冠。3着に入り、次戦天皇賞・秋では見事勝利を飾った

 この天皇賞・秋、鞍上はそれまでの主戦だった岡部幸雄騎手(引退)から蛯名正義騎手(現調教師)に変更になった。理由はバブルガムフェローと同じく藤沢厩舎で岡部騎手が主戦のタイキブリザードが同じ週に行われたブリーダーズカップに出走したため。そのため岡部騎手は北米へ遠征。蛯名騎手に乗り替わりとなったのだ。

 さて、後に数々のGIを制し、名騎手の名をほしいままにした蛯名騎手だが、当時はまだGI勝ちのない27歳の若手騎手。しかし、藤沢調教師は自信を持ってバトンを渡していた。マヤノトップガンやサクラローレル、マーベラスサンデーら古馬勢もそうそうたるメンバーが揃っていたが、藤沢調教師は旗幟鮮明に語った。

「確かに素晴らしい馬が揃っているけど、バブルガムフェローも強い馬です。それが、年齢が若いという理由で2キロ軽い斤量で出られる。これなら充分にチャンスはあると考えました」

 だからレース前、蛯名騎手には次のように伝えたと言う。

「せこく乗る必要はありません。受けて立つつもりで堂々とした競馬をしてください」

東京の長い直線を押し切って…

 また、レース前のエピソードとしてはもう1つ、興味深い事があった。蛯名騎手がバブルガムフェローとタッグを組むのはこのレースが初めて。しかし、追い切りを含めたレース前の調教で日本のナンバー1調教師は蛯名騎手をただの1度も跨らせなかった。つまり、レースが正真正銘の初騎乗となったのだが、これに関しては次のように語った。

「バブルガムフェローは何も難しくない馬です。ただ、追い切る事でレースへの臨戦態勢が整うのであって、追い切りの時点ではレース当日とは微妙に違う状態です。だから追い切り時のイメージで競馬に行ってほしくないから、本番でのみ、乗ってもらう事にしました」

 このジャッジが奏功する。先述した古馬のそうそうたるメンバーを相手にバブルガムフェローは早目先頭から東京競馬場の長い直線を押し切って優勝。自身2度目のGI制覇は蛯名騎手にとって初のGI優勝。

 また、天皇賞・秋が87年に再び3歳に開放されてから、初めての3歳馬による優勝劇にもなった(その後、四半世紀が過ぎたが、3歳で同レースを制したのは2002年に同じく藤沢厩舎のシンボリクリスエス、そして今年のエフフォーリアだけである)。

【次ページ】 グランアレグリアが迎える引退式

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