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「こんな弱っちい姿を見るのは初めて」浦和で14年間追い続けたカメラマンが思い出す、阿部勇樹が“漢”になった夜
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo/URAWA REDS
posted2021/12/17 11:06
記者会見で「絶対に泣かない」と宣言していた阿部勇樹。お世話になった人々への思いを問われると、溢れるものをこらえきれなかった
初めて阿部勇樹のプレーを見たのは1999年のJリーグ、市原臨海競技場だった。その前年、17歳になる少し前の若者がプロデビューを飾り、話題を提供した。結局そのシーズンは1試合のみの出場に終わったが、翌年の阿部勇樹は30試合に出場した。
キックの精度が高く、対人に強く、そしてものすごくポジショニングの良い若者だった。玄人受けする選手とでも言うのだろうか。まだ若いにもかかわらず、サッカーを熟知していた。ユーティリティ、ポリバレント、その特徴を表現する単語はのちに色々と誕生したが、要するにものすごく役に立つ選手だった。公園に集まってみんなで2つに分かれてゲームをする際、じゃんけんで選手の取り合いっこをすると、「最初はグー、ジャンケンポン、勝った、じゃあ阿部ちゃん!」と必ず最初に選ばれるような選手だった。
その阿部勇樹がいきなり浦和レッズにやってきたのは2007年だった。
なぜ浦和だったのか? 阿部勇樹は、ACLへの出場の決まっているチームへ移籍することでさらなるレベルアップを目指したかった、というような理由をシンプルに述べただけだった。青春時代を過ごしたクラブへの愛情も、新しいクラブについての思いも、公の場で熱く語ることはなかった。話さなければ誰も傷つかずに済む、彼はそんなスタンスをとっているように見えた。
それから14年、イングランドのレスター・シティで過ごした2シーズンを除き、阿部勇樹は浦和レッズでプレーした。ACLを2度、Jリーグカップを3度、天皇杯を1度獲り、そしてレッズサポーターの心を奪った。
阿部勇樹が「漢」になった夜
覚えているのは2015年3月4日の夜だ。その日、浦和レッズはACL1次リーグ、ブリスベン・ロアーを埼スタに迎え、不甲斐ない試合内容で落としてしまった。Jリーグが開幕する前にすでに公式戦3連敗、サポーターは苛立っていた。
試合後、テレビインタビューを受けた阿部勇樹は他の選手に遅れて、一人で場内を回った。その阿部に対し、北ゴール裏から強烈なブーイングと辛辣なヤジが飛んだ。ゴールポストの横あたりでサポーターに対して何かを訴えようとしていた彼は、いきなりスポンサーボードを飛び越え、スタンドのすぐ下まで行くと、ものすごい形相で憤るサポーター相手に右手の人差し指を突き上げてこう叫んだ。
「わかってるよ! 言ってることわかるよ! わかる! でも俺らひとつ勝たなきゃしょうがないんだよ! そのために頑張るから! 見せるよ、次に見せるよ! 見せるから一緒に戦ってくれよ!」(今映像を見返しても、胸が熱くなる)
その阿部勇樹にサポーターはチャントで返した。
「アベユーキ、オーオ、アベユーキ、オーオー」
思うに、あの夜、あの瞬間、阿部勇樹は浦和の「漢」になったのだと思う。