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《引退》中日・山井大介が現役最後の1球に“幻の完全試合”で使った“禁断のスライダー”を選んだ理由「あの球は僕にとって最も…」
posted2021/12/13 06:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
KYODO
日本シリーズ史上初の完全試合まであと1イニングというところで交代した2007年や、ノーヒットノーランを達成した2013年のピッチングが伝説として語り継がれている山井大介。その2試合のインパクトがあまりに強すぎるせいか、彼の20年が刻まれた轍が辿られる機会は多くない。引退した今、まず山井にそのことを訊ねてみた。
「思い浮かぶのはプロ1年目(2002年)の初登板か初勝利……いや、2004年の初完封かな。どれも僕がプロ野球の世界に一歩、踏み込んだという意味で、ここが始まりやなと思ったんで……当時、投げ終えたあとに『楽しかった』という発言をしていると思うんですけど、『お前、そんなに甘くないぞ』って、20年前の僕に言ってやりたいですね」
336試合に登板して先発が182試合、リリーフが154試合。62勝70敗20セーブ32ホールドと山井はあらゆる役割をこなしてきた。ケガが多かった山井がプロで20年も投げ続けることができたのは、キャリアを積み重ねていた真っ只中、スライダーというウイニングショットを封印する勇気があったからだ。
「若いときのスライダーは縦に曲がる、カーブに近い球だったんで空振りが取れたんです。でも捻って押す投げ方をしていたので、ヒジにものすごく負担がかかっていました。だから30歳を超えてから、横に滑らすスライダーに変えたんです」
「封印していたスライダーを最後くらいは」
伝説の2試合は別の山井が投げていたと彼は言う。2007年は縦に曲がるスライダー、2013年は横に滑らせるスライダーを投げていたからだ。そして今年の引退登板のマウンドで、山井は最後の一球に縦のスライダーを投げて三振を奪った。
「あのスライダーは僕にとってはもっとも自信のある球でしたからね。ずっと封印していたスライダーを最後くらいは投げたいなと思って投げました。正直、肩もヒジも元気でしたし、投げろと言われたらまだまだ投げられたと思います。でも、やめるとなったら、もうヒジに負担がかかっても構いませんからね……」
この秋からは、二軍コーチとして若いピッチャーと向き合う日々が始まっている。悔いがないと言い切れなかった山井は、最後に禁断のスライダーを投げることで、心の中に残る種火を消そうとしたのかもしれない。