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「練習中もみんなが藍を見ている」バレー日本代表・高橋藍が五輪後に戦った“重圧”…20歳でイタリア挑戦を決めた理由とは?
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKoomi Kim
posted2021/12/08 11:03
イタリア挑戦を決めた日体大2年・高橋藍。東京五輪での経験と悔しさをパリ五輪につなげるために決断した
試合後、高橋はコートで呆然と立ち尽くした。市川主将に言葉をかけられると涙する場面もあった。だが、しばらくしてから取材エリアに現れた高橋は少し目を赤くしていたものの、俯くこともなく気丈に対応した。
「決めることしか考えていなかったので、冷静さを失い、余裕を持ってできませんでした。(相手にブロックされた最終セットも)ああいうプレーを自分がしてしまったら、何のために代表を経験したのか意味がない。ここまで追い込まれたのは初めてだったので、いい経験ができたとポジティブに考えることもできますが、負ければ終わり、という大会でそれが出てしまったのはチームに対して申し訳ない。大学では頭一つ抜けた選手にならなければならない中、まだまだ足りない、と改めて感じました」
敗戦の悔しさも受け止め、また一歩前へ。新たな変異株に対する警戒も高まり、出国やイタリア入国後のクラブへの合流、出場がかなうタイミングは現時点で不透明だが、進むべき道を進む。今を重ねることでしか、未来を切り拓くことはできない。
日本では少々過度に集まる注目や期待も、イタリアへ渡れば五輪へ出場したばかりの20歳の選手に過ぎない。実際プレー面に関してもレシーブ力は高く評価されているが、「フィジカルが良くなればもっと伸びる」と取り組むべき課題も明確に示されている。
さらに言うならば、すでにシーズンも開幕している中にほぼまっさらな状態で飛び込む。語学やコミュニケーション、どれだけ環境に適応できるかもわからず、おそらく想像以上に厳しい挑戦であるのは間違いない。だが、それこそが高橋の望む“世界”でもある。
「20歳になって、周りからは『成長した』と言っていただく機会も増えました。でもイタリアで、バレーで結果を出さなければ生きていけない世界を知り、触れることで、必ず意識も変わると思うんです。祐希さんも『イタリアに行って考え方もすべて変わった』と話していたので、自分もそこで感じること、経験すること、どんな形でも、必ず成長して帰って来たいです」
まだまだ、ここから。成し遂げるのは、これからだ。
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