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「汚いプレーヤーでした」J1最多イエロー104枚、大久保嘉人39歳が最後に語る“引退まで191ゴールのウラ側”「日本サッカーはキレイになった」 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph byKatsuyuki Masuda(SIGNO)

posted2021/12/05 11:04

「汚いプレーヤーでした」J1最多イエロー104枚、大久保嘉人39歳が最後に語る“引退まで191ゴールのウラ側”「日本サッカーはキレイになった」<Number Web> photograph by Katsuyuki Masuda(SIGNO)

J1歴代最多のイエローカード104枚、J1通算最多の191ゴール、J1歴代最多のシュート数1135などの記録を持つ大久保嘉人39歳

「全体練習が終わっても1人居残りで黙々とシュート練習に励んでいた」。大久保をよく知る人物からそんな話を聞いたことがある。地道な努力と、そこで得た自信によって大久保はゴール数を伸ばしてきた。

「野性的と言われてきましたけど、それだけじゃない。ただ、ガツガツ行ってボールを要求するだけじゃ点は取れないですからね。相手はプロ、Jリーグで点を取るのは簡単じゃない。対戦したことのある選手にはわかってもらえると思うけど、動きは野性的だったとしても、オレはいつもどうやったらゴールを奪えるかを逆算していた。

 170cmで身長が低いので、普通にセンタリングが上がってきてもヘディングで勝つのは厳しいし、ずっと前に張っているのも難しい。だから、常に相手の裏をねらったり、逆を取ったり。フロンターレのときだってFWなのにときにセンターバックの内側まで下がったり……ポジションを変えながらスペースを空けるとかを繰り返しながら、最後にDFの目が離れたときにゴール前に入っていく形が多かった。そうすると、ボールが来る。オレのイメージはどうしても怒ったり、周りに何か要求しているところが強いと思うけど、それだけじゃなく頭でもしっかり考えていましたから」

もしスペインでケガがなかったら…

 多くのゴールを挙げてきたが1つ印象的なゴールを挙げるなら、スペイン1部・リーガエスパニョーラでのデビュー戦、「デポルティーボ戦のゴールですかね」という。

 04年シーズン終了後にセレッソ大阪からマジョルカへレンタル移籍が決まると、翌05年1月9日、第18節のデポルティーボ戦でリーグデビュー。その試合で22歳の大久保は後半に味方へのアシストを1つ決めると、同じく後半に右クロスを頭で合わせて当時リーガ強豪の一角とされた相手から1ゴール1アシストの活躍を見せた。欧州リーグで日本人選手が活躍するのが簡単ではないとされていた時代だけに、そのニュースは日本でも大きく取り上げられた。

 残念ながら大久保はその試合で故障を負ってしまい、翌年は監督交代など状況の変化もあって出場機会が限られ1シーズン半で帰国することになった。だが、もし万全の状態でプレーを続けられていたら……どうなっていただろうか。

「ケガがなければどうなっていたかはオレも気になっている。あのデビュー戦は、日本人として舐められたくない気持ちもあったし、現役時代を振り返っても唯一といっていいくらい緊張感があった。そんななかで決めたゴールだっただけに感覚はいまでも忘れられないですね」

「日本サッカーはキレイになってる」

 W杯には2010年南アフリカ大会と2014年ブラジル大会の2度出場し、大久保はその全7試合でピッチに立っている。最近は日本代表を応援するばかりで、W杯最終予選もすべてはチェックしていないと話すが、自身の経験から日本代表の戦いぶりについて何か感じていることはあるだろうか。

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