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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「出発当日になってもeビザが…」「え、あっけなく空港から出られた」コロナ時代のW杯予選アウェイ取材記《オマーン編》
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio/JFA
posted2021/12/02 17:02
1-0で勝利したオマーン戦。取材者は現地での試合にたどり着くまで、どんなことが起きていたのか
海外取材は、コロナ禍直前の20年3月頭にベルギーに行ったのが最後(欧州はすでにコロナ禍だったから、今思うとよく行ったものだ)。
日本代表の海外取材となると、19年6月のコパ・アメリカ……いや、このチームは実質U-21日本代表だったから、純粋なA代表の海外取材は19年1月にUAEで開催されたアジアカップ以来ということになる。
渡航までの問題や混乱ぶりにビビり始めたが
もっとも、ベトナムよりハードルが低いとはいえ、「鼻咽頭ぬぐい法」によるPCR検査が必要だったり、英文の証明書が必要だったり、さらには、ビザの問題もある。
9月7日の中国戦を取材するために日本からカタールのドーハに行った新聞記者の取材記を読むと、カタール政府のウェブサイトにワクチン接種証明書をアップしたものの、飛行機の出発時間までに渡航許可がおりず、1日遅らせるハメになったという!
現在のコロナ事情と混乱ぶりを知った僕は、ビビり始めてしまった。
しかし、僕には心強い味方がいた。
大先輩のMさんである。
Mさんは夕刊紙の記者を経て94年からサッカーの取材をしている女性ライターだ。日本代表で例えると、長友佑都といったところだろうか。経験豊富で、バイタリティに溢れている。
喋り出したら止まらないのが玉に瑕だが、悪い人ではない……というか、面倒見のいい人だ。
そんなMさんは、僕よりはるかに、久しぶりの海外出張に燃えていた。
「私は9月からずっと調べていますからね。調べ疲れて気持ち悪くなっちゃいましたよ」
このセリフをこの1カ月でいったい何度、聞いたことか。
だが、次々と調べた結果を報告してくれたり、書類やリストを送ってくれたりする。これはもう、お世話にならない理由はない。
そんなこんなで、オマーン行きに必要な情報が続々と集まってきた。
取材記者は「たった6人」の枠の中に……
しかし、だからといって、オマーンでの取材が確約されたわけではない。
オマーンサッカー協会が指定した取材者の数は、記者6人、カメラマン2人のわずか8人。その狭き枠に選ばれるかどうか……。
最悪、自分が選ばれなかったら仕方ない。
だが、自分は通って、Mさんは通らなかったら……。
Mさんがこれだけいろいろ調べてくれたのに、自分だけ通ってしまったら申し訳ないし、そもそもひとりでオマーンに入国し、無事に出国できるのだろうか……。
代表チームの広報担当者から情報を収集しつつ、最後は締切日の夜に「えいや!」と申請のメールを送った。
すると翌朝、申請が通った旨のメールが届いた。Mさんのところにも無事に。