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落合博満「ラクして勝て」「契約更改は個人経営者同士の戦い」星野監督との《確執説》や“3億円”年俸調停… 中日でのオレ流伝説 

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posted2021/11/15 17:03

落合博満「ラクして勝て」「契約更改は個人経営者同士の戦い」星野監督との《確執説》や“3億円”年俸調停… 中日でのオレ流伝説<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

中日ドラゴンズ時代の落合博満。名古屋の地でも数々の伝説を残した

当初、年俸3億円を希望して日本人初の調停

<名言4>
ボクにとって、契約更改は年1回の個人経営者同士の戦いの場なんだ。自分達が持っているいい面を喋り、高く買ってもらいたいと思って何故、悪いんだろうか。
(落合博満/Number264号 1991年3月20日発売)

◇解説◇
 神主打法から繰り出す唯一無二のバッティングとともに、落合が世間に強烈なインパクトを与えたのは「年俸」だった。

 1990年、36歳で迎えたシーズンで落合は34本塁打、102打点で二冠王を獲得。前年の打点王に続き、史上初となる「両リーグ本塁打王」も成し遂げた。その実績は圧倒的で、契約更改ではどのような金額になるのか……とみられたが、契約更改で合意に至らず、年俸調停を申し立てることになった。

 当初報道された落合の希望額は3億円。のちに希望額を少々下げたとされるが、球団は2億2000万円から頑として譲らなかった。その結果が日本人初の調停となったのだ。

 オフシーズンと言えば今も昔も契約更改は、メディアにとって話題のタネだ。「調停」という耳慣れない言葉もあってまたも大きく報じられることになったが、落合は後日、金額こそ自身への評価であると率直に語りつつ、このようにも話している。

「ボクはサラリーマンの春闘をやっている感覚だ。誰だって少しでも余計にもらうために、あれこれ理由を考えるのは当然だし、それぞれの考えをぶつけあうのも当然だ」

「あくまで賃上げ闘争で歩み寄りがなかったのだから、調停をお願いしただけ。だから、ボクにとって、調停をお願いした時点で、賃金闘争は終わっていると思っている。球団の提示よりも上がることはあっても、下がることはないのだから」

 調停の結果、年俸2億2000万円で合意した落合。このシーズンは首位打者こそ古田敦也との熾烈な争いにわずか及ばずの2位だったものの、37歳にして打率.340、37本塁打、91打点。2年連続のホームランキングとなって自身の価値を証明した。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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