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落合博満「ラクして勝て」「契約更改は個人経営者同士の戦い」星野監督との《確執説》や“3億円”年俸調停… 中日でのオレ流伝説
posted2021/11/15 17:03
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<名言1>
オレはラクして勝てというんだ。苦労して勝つな、ラクして結果を出せ。笑って結果を出せ。
(落合博満/Number169号 1987年4月4日発売)
◇解説◇
1986年、前人未到となる三度目の三冠王を獲得した落合博満。その大打者が急転直下、セ・リーグの舞台に戦いの場を移すことが決まったのはその年のオフだった。
ロッテはこの年、落合にとって恩師である稲尾和久監督の事実上の“解任”を決めた。それに不信感を持った落合は球団側との不和が報じられ、当時の球団社長との直接対談が組まれるほどの騒動になった。
この会見を受けて両者の溝は修復されたと見られたが、大どんでん返しが待ち受けていた。その仕掛け人となったのは中日の新監督に就任した星野仙一だった。落合博満1人に対してリリーフエースの牛島和彦を筆頭に、上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4人を放出するという「世紀の大トレード」が成立したのだ。
そのような経緯で中日に加入した落合。闘将・星野が鉄拳も辞さないほどの熱い指導でチームを引っ張っていこうとするのとは対照的に「ラクして勝て」と言い放った。ただしこれは「どうやったら結果が出るか一所懸命考えてみろ」という真意の裏返しだったともいう。
その考え方は十数年後……監督になった時と同じスタイルを貫いていたとも言える。
「別に門限破ったっていいじゃないか」
<名言2>
野球人は紳士たれ、というけど、紳士なんか今の世の中にいない。紳士でなきゃ野球できないとなれば、今、野球できるヤツは一人もいないよ。
(落合博満/Number169号 1987年4月4日発売)
◇解説◇
当時、落合のトレード先の候補には「読売ジャイアンツ」の名前もささやかれていたともいう。もし巨人がロッテ側の条件を飲んでいれば――昭和末期から平成初期の野球史は大きく変貌していたのかもしれない。