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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ケンカみたいになっちゃって」元日本ハム・西崎幸広が明かす“やりにくかった監督”とは? 栗山政権は評価も「エースが出てこなかった」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/16 11:04
10年にわたって日本ハムを率いた栗山英樹前監督。その功績と若手が台頭しなかった理由について、西崎幸広氏に語ってもらった
ファイターズは球団主導でコーチ陣を揃える球団です。腹心や参謀がいないところからスタートしたわけですから、はじめは特に大変だったはず。指導者としてユニフォームを着た経験がないこともあって、ほかの監督と同じことをしても仕方がないという思いがあったのでしょう。中継ぎ陣を先発から起用する“オープナー”であったり、極端な守備シフトだったり、メジャー式をいろいろと試しましたね。
――粗削りだった中田翔を、リーグを代表する四番打者に育てた功績もあります。
西崎 でも、それ以外の選手がなかなか出てこなかったのが残念でした。彼を突き上げる若手が台頭しなかったから、「中田がいないと……」というチーム構成になってしまいましたね。
――清宮幸太郎をはじめ、期待された若手が伸び悩んでいます。
西崎 選手に愛情を注ぐことは大事ですが、それだけではダメなのかもしれませんね。
「過保護になりすぎるのはよくない」
――西崎さんはいまから35年前、86年のドラフト1位でファイターズに入団されました。入団当初、周囲の期待や重圧を感じることはありましたか?
西崎 優しい言葉をかけられることなど一切ありませんでした。投手コーチに何かを教えてもらうこともなかったですね。ノックをたくさん打たれて、走らされて、しごかれて……投げ方にしても新しい球種にしても、まわりの投手を見ながら「どうやって投げるのかな?」と研究して、盗むしかなかった。聞きにいっても、先輩は教えてくれませんからね。
――ドライチだから大事にされるということは?
西崎 そんなのは全然(笑)。ただの1年生ですから、荷物持ちですよ。プロ1年目はフロリダで春季キャンプが行われたんですが、洗濯されたものを新人と若手で畳んで、先輩のロッカーに置くという仕事を毎日していました。雑用もやっていましたよ、カップ麺にお湯を注いだりね(笑)。
――特別待遇はなかった、と?
西崎 特にありません。チームに入ってしまえば、1位も6位も一緒という感じでしたね。僕は体も細かったから「こんなんでやれるのか?」と見る人もいたでしょう。「これがドライチか?」と思った人も。