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「え、まさかここでカズさんを…」“敗退したら日本で暮らせない”状況で、岡田武史(41歳)は決断した〈元代表戦士が語るジョホールバルの裏側〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/11/16 06:00
「ジョホールバルの歓喜」から24年。元代表戦士たちが“あの試合と岡田武史”を振り返る
〈あのチームは、もう、あの時に世代交代が進んでいたのですね。交代させた段階ではそんなことは意識していませんでしたが。やっぱり中心はヒデだった。パスを見ても、ヒデとカズはいまいち合っていなかったし、ヒデと呂比須もそれほど合ってなかった。でも、ヒデと城はものすごく合うわけです。それで、最後はヒデに合わすと決めて城を入れたんです。〉(ナンバー922号)
監督となった相馬が改めて思うのは、そこに岡田の覚悟が表れていたということだ。
「選手って、信頼しないと働かない。岡田さんもあの最終予選の最中、僕らのことをずっと信頼してくれていた。でも、決断しなければならない時もある。岡田さんは覚悟を持ってやっていたから、あの決断ができたんだと思います」
「転ぶな!」と相馬は心の中で叫んだ
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反撃に出た日本は、じわじわとイランを追い詰めていく。76分、一瞬の隙を突かれてCKからピンチを招くが、ダエイのスルーパスを山口素弘がインターセプトした瞬間、日本のビッグチャンスに変わった。左サイドから中田がクロスを蹴り込むと、城がヘッドで同点ゴールをねじ込んだ。
そう信じていた、と呂比須は振り返る。
「嘘じゃないですよ。城は練習から調子が良かった。だから僕はピッチサイドに立った時、城に言ったんです。『今日はあなたが絶対に決める。自分を信じて』って」
延長に突入した試合は118分、ついにエンディングを迎える。中田が左足で放った渾身のシュートをGKが弾き、延長戦開始とともに出場した岡野雅行がこぼれ球に反応する。その瞬間、相馬は心の中で「転ぶな!」と叫んだ。
「いや、もしかしたら、声に出ていたかもしれない。その前のチャンスを、岡野は滑って外していたから」
相馬の祈りとは裏腹に、岡野はまたしてもスライディングしながらシュートを放った。しかし、今度は確実に、無人のゴールに蹴り込んだ。ベンチから岡田とカズが飛び出し、岡野のもとに駆け寄る。その歓喜の輪の中に、相馬も飛び込んだ。
山口「ロペのお母さんのおかげだよ」
井原は誰とどう喜んだのか覚えていない。ただ、今も脳裏に焼き付いているのは、センターサークル付近の風景である。
「イランの選手やレフェリーが試合再開を促していたんです。だから、あれ? 本当に終わりなのかなって」
当時、Jリーグで採用されていたゴールデンゴール(Vゴール)は、世界的には馴染みのないもので、イランの選手どころか、レフェリーまで勘違いしていたのだ。
日本の選手、スタッフが喜びを爆発させていた時、呂比須の頭に日章旗が掛けられた。山口の仕業だった。
「山口さんが、ロペのお母さんのおかげだよ、ロペのお母さんと一緒にフランスに行こう、と声を掛けてくれたんです。その言葉は今でも耳に残っています」
日の丸に包まれた男の頬を、涙が伝った。
その夜のこと、成田空港でサポーターに迎えられたことを、呂比須は忘れない。
「サッカーを通じて日本がひとつになったじゃないですか。日本のために何かしたいというのが夢だったから、嬉しかった」