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「え、まさかここでカズさんを…」“敗退したら日本で暮らせない”状況で、岡田武史(41歳)は決断した〈元代表戦士が語るジョホールバルの裏側〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/11/16 06:00
「ジョホールバルの歓喜」から24年。元代表戦士たちが“あの試合と岡田武史”を振り返る
イランの奇策に「岡田さんは『構わず行け!』って」
11月16日、2万3000人収容のスタンドの9割が日本人で埋まり、青に染まったマレーシア・ジョホールバルのラルキンスタジアム。三浦知良と中山雅史によるキックオフ直後、オーバーラップした相馬に、対面のマハダビキアは付いて来なかった。
事前分析によるとイランの布陣は3-5-2で、右ウイングバックのマハダビキアが相馬のマークにあたるはずだった。ところがこの日のイランは3トップを敷いてきた。サイド攻撃を警戒し、ウイングを置くことで日本のサイドバックに蓋をしようとしたのだ。
「だから、ベンチに確認したんです。『どうします?』って。そうしたら岡田さんは『構わず行け!』って」
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イランの奇策に戸惑うことなく、いつも通りのサイド攻撃を仕掛けた日本は、主導権を握る。その様子を呂比須は、ベンチから頼もしく見ていたという。
「みんなの動きも良かったし、前半はすごく良かったと思います」
この時、最終予選で3ゴールを奪っている呂比須が控えに回ったのには理由がある。アウェーの韓国戦を終えた直後に発熱し、4日間の静養を余儀なくされたのだ。
「体重が5kgも減って、遠征メンバーからも外されるんじゃないかって。でも、岡田さんから『調子はどうか』と訊かれて、『大丈夫です。僕のプレーが10秒でも、30秒でも必要なら、一生懸命頑張るので、連れて行ってください』と答えたんです」
マレーシア入りした呂比須をさらなる試練が襲う。決戦の4日前、ガンに侵されて危篤状態だった母親が亡くなったのだ。
「心身ともにコンディションが悪くて難しかった。試合前日は、泣きながら集中しました。だから、サブに回るのは納得していました。FWにはカズさん(三浦)、ゴンさん(中山)、城(彰二)もいましたから」
試合が動くのは39分のことだ。
ピッチ中央から中田英寿がスルーパスを繰り出すと、少し膨らんで受けた中山が左足を振り抜く。ボールは飛び出してきたGKの脇を破り、ゴールネットを揺らした。
「オフサイド臭かったんですけど……」と苦笑した井原は、このゴールはスカウティングの賜物だったと明かす。
「敵DFがボールウォッチャーになりがちで、駆け引きに弱いのは分析済みでした」
今でこそ、解析ソフトを用いて対戦相手を丸裸にするのは当たり前だが、そうした技術が日本代表に持ち込まれたのはこの頃だった、と相馬も言う。
「分析に長けた小野(剛)さんが加わったことも大きかった。『こういうプレーを出せている時は、良い時だよ』って、選手一人ひとりにビデオを配るようにもなった」
中田英寿(20)は「年上に対して厳しいことを平気で言う」
この日の中田のプレーは神がかっていた。先制点を生んだスルーパスだけではなく、全得点に絡む活躍を見せるのだ。