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「え、まさかここでカズさんを…」“敗退したら日本で暮らせない”状況で、岡田武史(41歳)は決断した〈元代表戦士が語るジョホールバルの裏側〉
posted2021/11/16 06:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kazuaki Nishiyama
21年という時間は、人を思いもよらないところへ連れて行く。
あの日、鮮烈な光を放った20歳の若者は、とうの昔にスパイクを脱ぎ、今は日本酒の魅力を世界に発信している。
主役の座を奪われた30歳のエースは、今なおピッチに立ち続けている。
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日本代表を初めてW杯に導いた41歳の新米監督は、指導者ライセンスを返上し、地方クラブで地殻変動を起こそうとしている。
それだけの年月が経ったからか、監督業という修羅の道を歩んでいるからか。話を聞いた3人の元代表戦士は、あの一戦について、「覚えてないですね」という言葉を繰り返した。町田ゼルビアの指揮を執る相馬直樹がため息をつく。
「記憶はどんどん上書きされてしまうし、こうやって監督をやっていると、選手時代の気持ちを思い出すのが難しい……」
だが、あのW杯アジア最終予選では人生最大のプレッシャーを感じていた、ということは一致する。アビスパ福岡の監督を4年間務めた井原正巳は、こう振り返る。
「ドーハの時は1年前に初めてアジア王者になって、行けるんじゃないかという機運が高まっていた。でも、フランス大会の時は、絶対に行かなきゃいけないと。'02年に日韓W杯の開催が決まって、開催国で初出場というのはあってはならないですから」
呂比須「加茂さんが解任されてしまって…」
'97年9月に開幕したフランスW杯アジア最終予選で、日本代表は長く、暗いトンネルに引きずり込まれた。第3戦で韓国に逆転負けを喫すると、続くアウェーのカザフスタン戦では終了間際に追いつかれる。その夜に監督の加茂周が解任され、コーチの岡田武史が昇格したが、その後も2試合続けて引き分け、自力突破の可能性が消えた。
ブラジルのアトレチコ・ゴイアニエンセ(ブラジル2部リーグ)を率いる呂比須ワグナーは、韓国戦16日前の'97年9月に日本国籍を取得したばかりだった。
「僕はチケットを買って応援に行くほど日本代表が好きだったから、選ばれた時は嬉しくてしかたなかった。それなのに選んでくれた加茂さんが解任されてしまって……。責任を感じながら戦っていました。自分がどうにかして日本代表を勝たせたいって」
本当に後がない――。そんな崖っぷちから、しかし、日本代表は鮮やかに蘇る。アウェーで韓国を下すと、最終戦でカザフスタンに大勝してグループ2位を決めるのだ。
こうして日本代表は、勝てば初のW杯出場が叶う運命の一戦――アジア第3代表決定戦に辿り着いたのだ。
記憶のあちこちが抜け落ちている相馬にとって、この試合における最初の記憶は、イランの選手のポジショニングだという。