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日本代表の中田英寿とペルージャの中田英寿は別人だった?《ジョホールバルの一撃》に“殺意”が感じられなかった理由
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byAP/AFLO
posted2021/11/16 17:01
初のW杯出場に導く活躍を見せた中田英寿(当時20歳)。試合後のインタビューでは「楽しかった」と激戦を振り返っている
2年前、わたしは中田英寿とともにイタリア各地を回った。ペルージャへの移籍から20年、彼が所属したすべてのクラブを訪問しようという企画だった。
初めて聞くエピソードも多く、素晴らしく実りの多い10日間だったが、いまあの旅を振り返って、まず思い出すのはペルージャのホームスタジアム、レナト・クーリで、彼がセリエA最初のゴールを決めたとおぼしき地点に立ったときの衝撃である。
(こんなところから打ったのか……!?)
記者席から見ていたあの時も驚いたが、ピッチの中から見た光景には絶句するしかなかった。もしシュートを狙って外していたら、解説者から「いまのはセンタリングを選択すべきでした」と断言されること間違いなしな角度だったからである。
「普通だったら中を見てる状況ですよ。でも、あのときは迷わず打ってたと思う。それは、あのときの自分が、この角度であってもシュートを打たなきゃいけない環境にあったってこと」(NumberPLUS『中田英寿 20年目のイタリア』より)
結果を出さないと、やりたいことができない
なぜ打たなければならない環境にあったのか。その理由を中田はこう説明した。
「環境から求められてたっていうのかなあ。それまでの僕はパスを出すことにこだわりというか、美学みたいなものがあって、いかにいいパスを、面白いパスを出すかということに重きをおいてやってきていた。でも、イタリアという国で実績のない外国人選手としてプレーする以上、まずは得点という形で結果を出していかないと、自分がやりたいこともできないんだなと」
つまり、やりたいことをやる権利を手に入れるために、少しばかりのアジャスト、あるいは変節をした、ということだった。
その甲斐は、あった。