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日本代表の中田英寿とペルージャの中田英寿は別人だった?《ジョホールバルの一撃》に“殺意”が感じられなかった理由
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byAP/AFLO
posted2021/11/16 17:01
初のW杯出場に導く活躍を見せた中田英寿(当時20歳)。試合後のインタビューでは「楽しかった」と激戦を振り返っている
9年間の日本代表生活で、彼は11ゴールを奪った。そのうちの6ゴールは、ベルマーレ平塚時代にあげたものだった。
つまり、ペルージャに行ってゴールゲッターに変身したはずの中田英寿は、日本代表の選手としては、依然として以前の中田英寿だったのである。
2年前のイタリアの旅で、彼はこんなことも言っていた。
「結局のところ、一番大きかったのは自分のスタイルでプレーがしたいってことだったかな。自分なりの美意識というか、サッカーをやっている理由っていうのは、自分の好きなスタイルで自分の好きなプレーをするのが楽しいから、なんですよ。別にワールドカップで優勝したかったわけでも、タイトルが欲しかったわけでもない。だって、優勝できるかどうかを第一に考える人間だったら、高校を卒業したときにベルマーレは選ばないでしょ?」
それは、なぜ頻繁に移籍を繰り返したのか、という問いに対する答だった。
ペルージャに行って変身したはずの中田英寿は、しかし、生き残りを心配することのない日本代表では、以前と同じ中田英寿だった。いや、もちろんまったく同じではないだろうが、自身の得点のために何かを犠牲にする中田英寿ではなかった。
2006年夏、ドルトムントでのブラジル戦で中田英寿は現役生活に別れを告げた。
奇しくも、それは彼が日本代表初得点をあげたマカオ戦と同じ、6月22日だった。
中田英寿Hidetoshi Nakata
1977年1月22日、山梨県生まれ。韮崎高からベルマーレ平塚入団。98年セリエAペルージャに移籍し10得点。以降ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナを経て'05年プレミアリーグのボルトンへ。日本代表でW杯3大会出場、通算77試合11得点。2006年現役引退。
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