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《巨人ドラ1インタビュー》骨折でドラフト戦線“離脱”も「あきらめたくなくて」⋯翁田大勢が語る新フォーム&自己最速157キロの裏側
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byTakahiro Kikuchi
posted2021/11/04 11:01
今年のドラフト会議で巨人からドラフト1位指名を受けた関西国際大のエース右腕・翁田大勢
大学生選手の進路を左右するシーズンは、3年秋と4年春と言われる。そんな重要な時期を棒に振ったとなれば、絶望感に支配されても不思議ではない。だが、生まれ持ってのポジティブな性分の翁田は「プロをあきらめる思いはあまりなかった」と振り返る。
「なんとかなる……というより、なんとかしないといけない、という感じでしたね」
「萩原さんに出会えてなかったら…」
西脇工の3年秋にもプロ志望届を提出しているが、指名漏れの憂き目に遭っている。育成ドラフト指名でもプロに進むつもりだったが、調査書の届いた3球団とも翁田を指名することはなかった。その時も、翁田は「そら、そうかな」と残酷な結果をすんなり受け入れている。翁田は言う。
「ことが起こった瞬間はめちゃくちゃマイナスなことを考えるんですけど、次の日には『そうなった以上、変えていかないといけない』と切り替えられます」
疲労骨折した右ヒジを手術するか、手術を回避するか、まずはその決断をしなければならなかった。手術すれば秋のシーズンでの復帰は難しくなり、翁田の大学野球そのものが終わる。
そんな折、翁田はチームメートの紹介で知り合ったパーソナルトレーナーの萩原淳由からこんな助言を受ける。
「手術するレベルではないし、ケガをした原因を直さない限りはまたケガしてしまう。投げ方や筋力を見直したほうがいいんじゃないか?」
萩原は自身も富山サンダーバーズなど、独立リーグで5年間プレーした元投手である。現在は大阪府羽曳野市に「リバース」という治療院を構え、アスリートだけでなく高齢者など身体的な問題を抱える人々の治療にあたっている。
翁田はのちに「萩原さんに出会えてなかったら、自分はプロになれなかった」と語るほど、萩原との取り組みは大きな分岐点になった。体の使い方を根本から見直した。