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「(松坂)大輔を一度だけ注意したのは、イチローとやったとき」東尾修がいま明かす、22年前ルーキー松坂を初めて見た日の“不安”
posted2021/11/05 17:03
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
SANKEI SHIMBUN
「君が200勝したら返してくれ」――。23年前、超高校級右腕を西武へと導いた指揮官は、自身のボールに思いを託し手渡した。そこから交錯し始めた、二人の“エース”の物語。今も鮮明に記憶する愛弟子のあの日の姿を、恩師が回想する。
◆◆◆
東尾修は東京タワーを望むホテルの喫茶にいた。大きな窓が見えるテーブル席でコーヒーを飲んでいた。
松坂大輔が最後のマウンドに立つ数日前のことだった。
「大輔から引退すると電話をもらったよ。まあ、どういう状況かは色々なところから聞いていたし、限界だということはわかっていた。あとはいつ発表するかだけだったから……」
外は雨だった。ほんのり色づいた木々の葉が霧雨に濡れていた。季節が秋へと向かう情景のためか、東尾の独特の低音が寂しさをともなって聞こえた。
東尾と松坂にはいくつもの縁があった。監督と選手の間柄であり、ライオンズのエースの系譜に名を連ねる者同士でもあった。ただ何より、ふたりをずっと繋いできたのが、1つのボールだった。
「あのボール? どうするんだろうな。わからんなあ……」
1998年のドラフト会議、西武ライオンズは横浜高校のエース松坂を1位で指名した。3球団競合の末に、交渉権を引き当てたのは、監督である東尾の右手だった。
だが、甲子園を春夏連覇した大物ルーキーは地元の横浜ベイスターズへの入団を希望しており、西武が交渉権を獲得したことに複雑な表情を浮かべていた。つまり東尾は、片想いの松坂を説得する必要があった。
「君が200勝したら返してくれ」
数日後、東尾は西麻布の焼肉店に電話を入れた。顔馴染みで、融通のきく店だった。