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「(松坂)大輔を一度だけ注意したのは、イチローとやったとき」東尾修がいま明かす、22年前ルーキー松坂を初めて見た日の“不安” 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph bySANKEI SHIMBUN

posted2021/11/05 17:03

「(松坂)大輔を一度だけ注意したのは、イチローとやったとき」東尾修がいま明かす、22年前ルーキー松坂を初めて見た日の“不安”<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

1998年度のドラフトで日本ハム、横浜ベイスターズ、西武ライオンズの3球団競合の末、西武に入団した松坂大輔。東尾修監督(当時)が交渉権を引き当てた

「カーブってのは肩甲骨を柔らかく使わないと投げられない。そうやって段階を踏んでいって、ああ、こいつは大丈夫だ、1年目から投げても壊れないと確信してから、デビューを決めたんだ」

 全国のファンが注目する松坂のデビュー戦は本拠地・西武ドームのマウンドであるべきだという声が多かった。当時のオーナーである堤義明からも指令がきた。ところが、東尾はそれらすべてに背を向けて、4月7日、東京ドームでの日本ハム戦をその舞台に選んだ。

「大輔は足首が硬いから、傾斜のある東京ドームのマウンドの方が良いと思った。それに、あんまり重圧をかけたくなかった」

 まるで父親が息子を社会の荒波に送り出すような眼差しで、松坂をプロのマウンドに立たせたのだった。

「あれは大輔の野球人生の中でもいちばん良いボールじゃないかな」

 東尾はテーブルからカップを取り上げると、少しぬるくなったコーヒーに口をつけた。その脇には雑誌が置いてあった。4年前、Numberが松坂の野球人生を特集したものである。

 東尾は雑誌のページをめくると、ライオンズブルーのユニホームで投げるピッチャーの写真を指さした。

「ほら、まだこのころは右肩が左膝の上くらいまできているでしょ。若いときは、まだこうやって何とかできちゃうんだ」

 1999年4月7日、デビュー戦の日の松坂だった。フィルムの質感が、20年以上前の写真であることを物語っていた。正面からの投げ終わりのカットだが、背番号18が見えるほど身体が捻転していた。

「思い出というわけじゃないんだけど……」

 東尾は照れ臭そうに笑った。

「デビュー戦で片岡(篤史)に投げたあの1球……、あれは大輔の野球人生の中でもいちばん良いボールじゃないかな」

 昨日のことを話しているような口調だった。それから東尾はまたページをめくると、今度は白と黄色のソフトバンクホークスのユニホームを着た投手を指さした。

【次ページ】 「大輔を一度だけ注意したとき」

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