酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
なぜ落合博満の野球人生はこんなに“特別”なのか…「空白の1日ドラフト」で3位指名→唯一の三冠王3回→「嫌われた監督」も優勝4回
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byMakoto Kemizaki
posted2021/11/01 11:02
ロッテオリオンズ時代の落合博満。通算3回の三冠王、「嫌われた監督」ながら中日でリーグ優勝4回は恐るべき成績である
1984年には阪急のブーマー・ウェルズが外国人初の三冠王に輝く。落合とロッテで同僚のレロン・リー、レオン・リー兄弟、近鉄のリチャード・デービス、日本ハムのトニー・ブリューワなどが猛威を振るっていた。落合はこうした外国勢を上回る成績で2年連続三冠王になったのだ。
1987年に中日にトレードで移籍してからも落合は本塁打王、打点王をそれぞれ2回獲得。絶対的な中軸として活躍した後に巨人にFA移籍し、この時すでに40歳。さすがに長打は減ったものの2年連続3割を打ち、最後は日本ハムに移籍し、44歳で引退した。
王・野村からイチロー・松井らの現役時代まで活躍した
落合は王貞治、野村克也らの最晩年にデビューし、清原和博、イチロー、松井秀喜、小笠原道大らの世代まで活躍した。この間に球場のサイズは大きくなり、ドーム球場が普及し、野茂英雄がMLBに挑戦するなど、NPBは大きく変貌した。
落合博満は昭和から平成の変動の時代にあって、変わらず好成績を挙げ続けたのだ。
引退後は、野球解説者となったが「ふてぶてしさ」が売りだった。
落合は1986年に『なんと言われようとオレ流さ』という本を出してベストセラーになったが、解説者としても「ヒットなんていつでも打てる。ずっと柵越えを狙ってたからね。ヒットなんてホームランのうち損ないですよ」としれっと言ってのけたりした。
「新庄監督」並みに世間で驚かれた就任と黄金時代
その落合博満が中日監督になるというのも、世間を驚かせた。確かに中日OBではあったが「ドラゴンズ愛」など口にするタイプではない。今、新庄剛志の日本ハム監督就任が世間をにぎわせているが、落合監督就任はそれに近いような驚きをもって受け止められた。
しかしその落合が、中日の黄金時代を築くのだ。
史上最高のクローザー岩瀬仁紀、名二遊間アライバ(荒木雅博・井端弘和)、守備の要・谷繁元信などを擁して、堅牢な守りの陣容を形成したのだ。
2007年の日本シリーズでは8回まで完全試合の山井大介を降板させ、岩瀬をマウンドに上げる非情の采配で話題となったが、落合にとっては「当たり前」のことだったのだろう。
8年間の監督生活で、リーグ優勝4回、2位3回、3位1回。日本一1回、リーグ優勝した2011年を最後に退任したのも落合らしかった。