酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
なぜ落合博満の野球人生はこんなに“特別”なのか…「空白の1日ドラフト」で3位指名→唯一の三冠王3回→「嫌われた監督」も優勝4回
posted2021/11/01 11:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Makoto Kemizaki
落合博満というと、まず思い出すのは、1986年夏の大阪球場でのデーゲームだ。南海-ロッテ戦。落合は三塁を守っていた。
試合前のシートノック、落合はゴロをけだるそうに捕球すると、後ろにいた新人控え三塁手の森田芳彦にポイッとボールを渡した。そして森田が一塁手に送球したのだ。1球か2球だったと思うが、こんな横着なノックってあるだろうかと思った。
当時の大阪球場の三塁側は、ほとんど観客が入らなかった。特にロッテ戦は不入りで、ロッテの法被を着た10人ばかりの応援団が鉦や太鼓を鳴らす程度だった。
しかしこの日の三塁側内野席の最前列には、真っ白なスーツを着た女性や、ピンクのフリフリのドレスの女性、つまりミナミかキタの繁華街の「お水関係」と思わせるきれいどころが間隔をあけて座り、落合博満に熱い視線を注いでいたのだ。
当時すでに32歳、この年3度目の三冠王を手にする落合博満の存在感は、半端なかった。
「江川の空白の1日」ドラフトで3位入団だった落合
そもそも落合博満という野球人は、いろんな意味で「スタンドアローン」な人だと思う。ライバルや同世代の仲間のようなものがあまり見えないのだ。野球史上でも特異な存在だと言える。
「落合博満の同世代」と聞いてすぐに名前が出てくる人はどれくらいいるだろうか?
1953年度生まれには、中畑清、真弓明信、梨田昌孝、田尾安志、若菜嘉晴らがいる。それぞれ球史に名前を残した野球人だが、共通項はあまり見えてこない。
それは落合が同世代とは極端に違った野球人生を送ったことにも起因しているだろう。
落合は、球史に残る異常なドラフト会議によってプロ入りを決めた。
1978年、あの江川卓の「空白の1日」があった年のドラフトだ。法政大学を出て1年浪人してドラフト2日前に帰国した江川と巨人は「電撃契約」を発表。金子鋭コミッショナーはこの契約に待ったをかけたが、これに反発した巨人がドラフト会議をボイコット。異常な雰囲気の中で、ドラフト会議が行われた。
江川は阪神が指名権を引き当てたが、金子コミッショナーの裁定で巨人のエース、小林繁とのトレードが決まる。小林は春季キャンプに発つ寸前、羽田空港で呼び戻された。この間、ワイドショーは江川問題で持ち切りだったが、騒然たる空気の中で、落合はドラフト3位でロッテにひっそりと入団したのだ。