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《祝・文化勲章》長嶋茂雄の深い将棋愛 「飛車と角のツーウェイ・アタックですよ!」中原誠名人と記念対局…その内容とは 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2021/10/26 17:10

《祝・文化勲章》長嶋茂雄の深い将棋愛 「飛車と角のツーウェイ・アタックですよ!」中原誠名人と記念対局…その内容とは<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

プロ野球界のスーパースター長嶋茂雄も将棋で「勘ピューター」を磨いていたようだ

 長嶋は対局後、現役時代の背番号3にちなんで、将棋連盟から三段の免状を贈られた。

 一方の中原は、長嶋からサイン入りボールと「快打洗心」と書かれた色紙を贈られた。そして、自分で持参した色紙へのサインを求めた。そのときばかりは、名人から一人の長嶋ファンになっていた。

 その後、両者は対談も行なった。長嶋は「チャンスになると、自分でも不思議なくらい打てます。自分は運がいいと思っているから打てるんです」と語り、中原も「自分も運がいいほうだと思っています。大事な対局は、たいがい勝てる気がします」と語った。

 両者は運の良さを強調したが、日頃のたゆまぬ努力があったのは言うまでもない。

2年後、打ち解けた雰囲気で再びの対局

 1975年のペナントレースで、巨人軍は球団創設以来初の最下位に転落した。長嶋は監督1年目に厳しい試練を受けた。

 しかし1976年には、主砲の王の豪打、トレードで加入した張本の広角打法によるヒット量産、若手の新浦の力投などの活躍で、セ・リーグ優勝を果たした。

 中原は76年の名人戦で5連覇を達成し、十六世名人の永世称号の資格を取得した。タイトルは六冠(当時)のうち、四冠を保持していた。

 1976年12月27日。報知新聞社の新春企画で、中原名人と長嶋監督の記念対局が東京・四谷「ホテルニューオータニ」で行われた。初対面で遠慮がちだった2年前とは違い、両者は打ち解けた雰囲気で語り合った。充実した一年をともに送ったので、表情は晴れ晴れとしていた。

 私は当時、報知新聞で将棋コラムを連載していた。当日は、その担当記者が記念対局の観戦記を書くので解説者として同席し、趣味のカメラを持ち込んで撮影することができた。

野球の采配と同じく、将棋も攻撃的だった

 記念対局の手合いは、前回と同じ二枚落ち。長嶋はまた中飛車に振った。
 
 第1図の局面では、長嶋の攻め駒があまり働いていないが、ここから巧みに攻めていった。

 実戦は、▲6六歩△同歩▲同銀△6五歩▲同銀左△同桂▲同銀(第2図)と進んだ。

 ▲6六歩が銀を活用する好手で、さらに銀を五段目に進めた。飛車角の利きが敵陣に通り、第2図は有利となった。次に▲5四歩の攻めが厳しい。

 長嶋は第1図からの攻め方を、「飛車と角によるツー・ウェイ・アタック」と表現した。野球の采配と同じく、将棋も攻撃的である。

【次ページ】 貴重すぎるミスターと中原名人の対局姿

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