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《祝・文化勲章》長嶋茂雄の深い将棋愛 「飛車と角のツーウェイ・アタックですよ!」中原誠名人と記念対局…その内容とは
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph bySports Graphic Number
posted2021/10/26 17:10
プロ野球界のスーパースター長嶋茂雄も将棋で「勘ピューター」を磨いていたようだ
2011年の長嶋へのあるインタビュー記事によると、引退セレモニーでのあの名文句は、だいぶ前から思い巡らせていたそうだ。永久と不滅は同じ意味だが、「永久に不滅です」と声に出すと、語呂が良いと思ったという。
引退セレモニーから約1カ月後に川上監督が退任を表明し、巨人軍の新監督に長嶋が就任した。
中原名人と長嶋新監督の記念対局が!
1974年11月30日。共同通信社の新春企画で、中原誠名人と長嶋監督の将棋の記念対局が行われた。
長嶋は大学時代から将棋が好きで、巨人軍では1、2を争う腕前だという。中原は子どもの頃から野球が好きで、熱烈な巨人ファン。小学校の夏休みに将棋の勉強で宮城県から上京したときも、一番の楽しみは後楽園球場で巨人の試合を見ることだった。
長嶋と中原のそうした趣味を知っていた共通の関係者が間を取り持ち、異色の顔合わせが実現した。時に長嶋は38歳、1972年に若くして名人位に上り詰めた中原は27歳だった。
記念対局の会場は、東京・目白「椿山荘」。関係者以外はオフリミットだったが、私は日本将棋連盟の一員として同席できた。対局の立会人は、中原の兄弟子の芹沢博文八段。
芹沢は後日に将棋雑誌の随筆で、「いつも落ち着いている中原が硬くなっているように見えた。長嶋はそんな中原をリードしながら話している。しかし対局が始まると、長嶋のほうが緊張気味になってきた」と、対局開始前後の様子を記した。
長嶋は得意の中飛車も「困ったなあ」
中原と長嶋の記念対局の手合いは、中原が飛車・角の大駒を落とす「二枚落ち」。長嶋はきちんと正座し、神妙な面持ちで指し進めた。途中で膝を崩したが、背筋を伸ばした姿は堂々としていた。
長嶋は得意戦法という「中飛車」(飛車を真ん中の5筋に振る)を用いた。中盤で飛車を捨てて猛攻したが、中原に手堅く受けられて、決め手をなかなかつかめない。「困ったなあ、だんだん押さえ込まれる」と、対局中に弱音を吐いた。長嶋は惜しくも敗れる結果となった。