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「清原さんは真っ直ぐで。イチローさんは持っているもの全部出して…」引退・松坂大輔が語っていた“天才たちの抑え方”
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2021/10/25 17:15
日米通算で61打席の対戦があった松坂大輔とイチロー
“松坂対イチロー”の物語
松坂大輔対イチロー。日本でデビューした1999年、初対決で3三振を奪った松坂がその試合後、「自信が確信に変わりました」と言ったのは有名な話だ。
当時、前人未到の5年連続首位打者を獲得したイチローを、第1打席は外角の速球で空振り三振。第2打席はスライダーで見逃し三振に仕留めた。第3打席はカウント2-2から外角高めのやや抜けたスライダーで空振り三振。3打席連続の奪三振に余裕が出たのか、第4打席は5球すべて速球を投げ込み、四球に終わっている。
当時の映像を見て印象的なのは、松坂がイチローが打席に入る時のゆったりしたリズムを無視するようにテンポよく投げ込んでいたことだ。それはまるで、どんな些細なことでも、相手に主導権を握らせないようにしているようだった。それは彼がコロンバスで言った「自分が今、持っているものを全部出して抑えたい」という言葉そのもののように思えた(それからも二人の対決は続き、日米通算で打率.246(61打数15安打)、1本塁打7打点、8三振という記録が残っている)。
「納得するボール」が投げられないようになっていく
コロンバスで取材した2013年のシーズンの終わり、松坂はインディアンスを自由契約になってメッツと契約し、メジャー復帰を果たし、7試合で3勝を挙げてみせた。ところが、ある試合の後、彼はこう言っている。
「自分の納得するボールが投げられているわけではないし、自分の持っているもの、今ある引き出しを全部使って、何とか抑えている感じです」
イチローに対する「自分が今、持っているものを全部出して抑えたい」と、この時の「今ある引き出しを全部使って、何とか抑えている」はもちろん、違う。自分の集大成を出すことと、体が思い通りにならず、それが出せない中で「今のベスト」を出すことは違う。引退会見で彼はこう言っている。
「僕のフォームが大きく変わり始めたのが、(肩を痛めた)2009年くらいだと思うんですけど、その頃には痛くない投げ方、痛みが出てもなるべく投げられる投げ方を探し始めた頃っていうんですかね。だからその時には、自分が追い求めるボールは投げられてなかったですね。それからはその時その時の最善策を見つけるという、そんな作業ばっかりしてました」
周囲の反応は敏感で、「最初の10年」が終わった頃から、彼はやたらと投球フォームがどうの、体の動きがどうの、球速がどうのと語られるようになった。引退会見で彼は、「これまでは叩かれたり、批判されたりすることに対して、それを力に変えてはね返してやろうってやってきましたけど、最後はそれに耐えられなかった」とも言っている。