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一橋大学で法曹界を目指すはずがボートを始める→東京五輪で“史上初の快挙”…荒川龍太27歳はなぜ「救世主」になれたのか?
posted2021/10/24 11:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Yuki Suenaga
日本が史上最多となる58個のメダルを獲得した東京オリンピック。金メダルの数は実に「27」にも及んだ。メダル獲得の裏側には多くの快挙が付帯し、その余韻は閉幕から2カ月経った今も残る。
ただ、メダルだけが快挙ではない。たとえ大きなニュースにならなくとも、「躍進」によって競技者や関係者を勇気づけた競技がある。その一つがボートだった。
日本のボート競技は1928年のアムステルダムオリンピックに初出場して以降、継続的に参加してきた。しかしながら本場欧州の壁は相当に高く、最高位は男子軽量級ダブルスカルでの2000年シドニー、2004年アテネの6位入賞。体重制限のない“花形種目”男子シングルスカルとなると、1996年アトランタを最後に出場すら途絶えていた。
そんな日本ボート界に救世主があらわれた。
男子シングルスカルで史上初の準決勝進出
5月のアジア・オセアニア大陸予選を制して東京オリンピック出場権を勝ち取ったNTT東日本の荒川龍太は予選を第6組2位で突破すると準々決勝で第3組3位に入り、日本ボート界で初めて同種目において準決勝に進出したのだ。これには2大会連続でオリンピック6位入賞を果たした日本ボート界レジェンドの武田大作も「体重制限のないオープン種目で世界と戦えることを示した。快挙と言っていい」と称えたほどだ。
準決勝は第2組6位となって7~12位の順位決定戦に回り、最終結果は11位に終わった。それでもまったくの未経験から一橋大学でボートを始め、キャリア10年にも満たない27歳の伸びしろを考えると3年後のパリが実に楽しみになってくる。
残暑厳しい9月、荒川は埼玉・戸田にある“聖地”戸田ボートコースで練習に励んでいた。インタビューを行なったこの日の午前はウエートトレーニングをこなしており、東京オリンピックが終わってもボート漬けの日々を送っている。
ボートに誠実に向き合う求道者。
まず東京オリンピックの感想を求めると、その表情には悔しさとうれしさが入り混じっていた。