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[父&母連続インタビュー]金メダリストの両親は「教育論」を語りません 木村敬一
posted2021/10/23 07:02
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
JMPA
パラ水泳・木村敬一は、17歳で北京パラリンピックに初出場してから4大会目となった東京大会で、悲願の金メダルを手にした。その足跡を父の稔さんが語った。
東京パラリンピックで得意の100mバタフライで金を取った時には、本当にようやったなと思いました。敬一は「僕より父の方が金メダルを欲しがっていたと思う」と言っていましたが、そこまでではなくても、やはりずっと「大本命」「大本命」とメディアに注目されていたこともあって、本人のためにも頂点に立ってほしかったんです。
私はバイクに乗るのが趣味だったので、敬一が2歳の頃には、もう少ししたらミニバイクで遊べたらいいなと思っていました。その時、既に目の手術が控えていましたが、当時はあまり大ごとには考えていなかったんです。
その後すぐ全盲になってミニバイクに乗せることは諦めてしまったのですが、モータースポーツを目で見れなくても、あの“音”で速さを感じることができるのではと思い、小さい敬一を連れてよく鈴鹿サーキットへ行っていました。……まぁ半分、自分の趣味でもあったのですが(笑)。他にもスキーや自転車をやってみたり、ピアノを習ってみたり。全盲でも出来ることを必死に探してきたというよりは、「見る」というきっかけがない敬一に私が「楽しそうやな」と思ったものを提案し、いろいろやってきたという感じですね。
敬一が現在趣味として挙げている将棋もそのひとつ。滋賀県立盲学校に入学し、小学1年生の頃から寄宿舎生活をしていたのですが、そこに盤の升目に凹凸を付けた視覚障がい者用の将棋盤があったんです。将棋ができたら将来役に立つのではと思い、盤を手作りしてそれを使って将棋にも挑戦しました。