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一橋大学で法曹界を目指すはずがボートを始める→東京五輪で“史上初の快挙”…荒川龍太27歳はなぜ「救世主」になれたのか?
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byYuki Suenaga
posted2021/10/24 11:01
戸田ボートコースで練習に励む荒川。10月28日に開幕する全日本選手権ではNTT東日本の6連覇が懸かる男子エイトに出場を予定している
海の森水上競技場のコンディションは荒川に不利に働いた
「目標は決勝進出でしたからそこに届かなかったし、準決勝ではもう一枚ギアが足りなかったなと痛感させられました。実力以上に、差が開いたケースになってしまったので。ただ今、自分の持っている力は全部出し切れたとは思います。オリンピックということでこれまでは全日本で勝っても知人から連絡が来るとかはあまりなかったんですけど、今回は予選から毎回レースが終わるたびにたくさん連絡をいただきましたし、会場には大学のOBや一緒にボートをやっていた仲間がたまたまボランティアにいたので“ガンバレ”と励ましてもくれて、凄く力になりました」
準決勝、東京湾に面した海の森水上競技場のコンディションは荒川に不利に働いた。強く吹く横風をモロに受ける手前の6レーンでレースを展開しなければならなかったからだ。
「横の風が出てくると(6レーンは)難しいなっていうのはありました。どのレースを見ていても逆側のほうが比較的いい順位、いいタイムを出していて、こちら側はミスオールや(有力選手の)まさかの敗退というのもありましたから。確かにあの日は難しいレースコンディションだったとは思います」
徐々に集中を高めながら東京五輪を乗り切れた
2000mのうち最初の500mで上位から大きく引き離されてしまい、最下位になってしまう。だがレースコンディションばかりに原因を求めず、準決勝のレース運びを見直すことにした。なるべく食らいついていかないと突破できない。再び6レーンとなった順位決定戦では序盤から攻めていった。6艇中5位に終わったとはいえ、トップとは6秒半差だった。
「順位決定戦は最後のレースになりますし、トップに離されないで後半勝負というイメージで臨みました。2、3位というところまで行ったんですけど、前半の(飛ばした)ツケが出たっていう感じですね。タイムは6分50秒91。40秒台を出せる準備はしていたし、世界と勝負していくにはもう3、4秒は縮めないといけない。それを出せるつもりではありました」
オリンピックは今回が初めての出場だった。それでも過緊張もなく、徐々に集中を高めながら大会を乗り切ることができた。予選が終わった日に急きょ国立競技場での開会式にも参加している。オリンピックの存在意義、出場できる喜びを知り、レースの流れや世界との差をインプットできたことも大きかった。