オリンピックPRESSBACK NUMBER

一橋大学で法曹界を目指すはずがボートを始める→東京五輪で“史上初の快挙”…荒川龍太27歳はなぜ「救世主」になれたのか? 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2021/10/24 11:01

一橋大学で法曹界を目指すはずがボートを始める→東京五輪で“史上初の快挙”…荒川龍太27歳はなぜ「救世主」になれたのか?<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

戸田ボートコースで練習に励む荒川。10月28日に開幕する全日本選手権ではNTT東日本の6連覇が懸かる男子エイトに出場を予定している

神奈川有数の進学校、聖光学院高から一橋大学へ

「トップの選手たちとレースできたし、トップを狙う選手たちとも戦えた。自分がどこまでやれるかというのは大体つかめたと思っています」

 頭脳派の漕手はそう力強く言った。

 神奈川有数の進学校として知られる聖光学院高の出身。186cmの長身を誇り、高校時代はバスケット選手として活躍している。

 文武両道を地で行き、将来は法曹関係の職を目標にして一橋大学法学部に進学する。大学でもバスケ部かバスケサークルに入ろうと半ば決めていたが、1年生の勧誘イベントで「とりあえず来てみてよ、といかつい先輩たちにつれていかれた」のが、創部100年以上の伝統を誇る端艇部であった。

「そこでプロモーションビデオを見せられて、音楽と映像でかなりかっこよくつくられてあったんですけど、何よりも“日本一を目指そう”というそのフレーズに心を動かされました。次のイベントに顔を出したら、いかつい先輩の隣に座らされて“入部宣言するまで帰らせない”と。この部いいなとは思ってましたけど、実際に入るまでの気持ちはなかったんです(笑)。まあ、そこで入部宣言させられたというのが始まりです」

 苦笑い交じりも、どこか楽しそうに振り返る。それはそうだろう。どっぷりとハマってしまう運命の出会いになるのだから。

始めてわずか2、3カ月でインカレの選考基準を切った

 才の萌芽に時間は掛からなかった。

 恵まれた体躯と強靭なフィジカル。シングルスカルに乗り始めてわずか2、3カ月でインカレの選考基準を切って、出場を果たしている。ボロボロのボートで臨んだ一番は「ぶっちぎりのビリ」だったものの、短期間の成長ぶりには誰もが舌を巻いていた。

「環境が良かった」と荒川は言う。部に入るのが、ほとんど未経験者。厳しい練習を強いられながらもみんな同じスタートのため、うまくなるのも速くなるのも一緒に実感できた。

「部には日本一を目指したくて入る人、雰囲気がいいから入る人の大体二択。僕は後者のほうではなかったんですけど、一緒に漕いでいると自分の実力以上に力を出せたり、(練習機器の)エルゴメーターでも隣で誰かやっているといつも以上に頑張れたり、無形有形で仲間には助けられていたんだなって思います。仲間がいたから強くなれたし、続けられた」

 勉学は最低限に、頭のなかはボートが支配するようになっていた。法曹関係の仕事の目標は、「ボートで日本一」にかき消された。2年生からはエイトの主力メンバーとなり、インカレ準優勝も経験した。4年時にはキャプテンを務め、部を引っ張った。

 Mileage makes champions.

  距離を漕ぐことが、次のチャンピオンをつくる。大学での合言葉は、彼の哲学ともなった。

【次ページ】 2015年のシーズンオフからフランス人コーチに師事

BACK 1 2 3 4 NEXT
荒川龍太
東京五輪
オリンピック・パラリンピック

他競技の前後の記事

ページトップ