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佐藤寿人が“減俸提示”で考えた自分の仕事「フォワード=ストライカー、じゃない」《今、最も気になる選手は?》

posted2021/10/11 11:03

 
佐藤寿人が“減俸提示”で考えた自分の仕事「フォワード=ストライカー、じゃない」《今、最も気になる選手は?》<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

キャリアの中で挫折の1つだと語ったのは2011年シーズン。自らが求められる仕事を整理できたことで、そこから再びゴールを量産する日々が始まった

text by

金子達仁

金子達仁Tatsuhito Kaneko

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Kiichi Matsumoto

引き続き、佐藤寿人の「ストライカー育成論」をお楽しみください(全3回の#3/#1#2へ)

 日本が震災で大きな打撃を受けた2011年、広島でプレーしていた佐藤寿人は33試合に出場し、11得点をあげた。

 悪い数字ではない。04年から続いていたシーズン2ケタ得点の記録は、「8」にまで伸びた。もはや、彼が日本を代表するストライカーの一人であることに異を唱える者はいなくなっていた。

 だが、この年の契約更改の場で彼は「キャリアで初めて」という経験をする。

 減俸提示である。

「クラブの経営状況が芳しくなかったのもありますが、自分も年齢的に30歳にさしかかりつつあった。2ケタ得点はしているけれど、少しずつ得点数が減ってきてもいた。周囲が懐疑的な目を向けるようになってきたのも感じてました。何より、自分が絶対に点を取るんだという気持ちが、ちょっと薄れてきてたかもしれません」

「チュンソンをサポートしたい」

 この年、広島の最大の得点源は佐藤ではなく、アジアカップ決勝の劇的なボレーで名をあげた李忠成だった。佐藤自身、インタビューなどでは「チュンソン(李)が得点王を取るために自分もサポートしたい」といった趣旨のことを口にしていた。

 掛け値なしに本心からの言葉ではあった。ただ、その中に、ストライカーとしてチームを背負う重責から逃げたいという思いがあったことは、誰よりも佐藤自身が一番よくわかっていた。

 そんな気持ちを見透かすかのように、広島のフロントは減額を突きつけてきた。李忠成がプレミアリーグのサウサンプトンに移籍することも決まった。望む、望まざるに関わらず、佐藤は心機一転をしなければならない状況に立たされた。

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