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佐藤寿人が“減俸提示”で考えた自分の仕事「フォワード=ストライカー、じゃない」《今、最も気になる選手は?》
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/10/11 11:03
キャリアの中で挫折の1つだと語ったのは2011年シーズン。自らが求められる仕事を整理できたことで、そこから再びゴールを量産する日々が始まった
「11年のプレーを振り返ったとき、少なくともあと3点は取れてたっていうシーンがあったんです。ホントに、ちょっと足を伸ばすか伸ばさないか、みたいなところで。じゃあなんで、そのときの自分は足が動かなかったのか。“決まれ!”って思っちゃってたからなんですよ」
逃げという部分もあったとはいえ、李忠成のゴールを喜ぶ佐藤の気持ちは本物だった。李に限らず、仲間のシュートが決まれば、佐藤は心から喜び、ゴールを祝う輪に加わった。
それがダメだったのだと、佐藤は考えた。あと3点とっていれば、フロントが減俸を提示してくることもなかった、とも思った。
「もちろん、仲間のゴールを喜ばなくちゃいけないんですよ。それは当然なんですけど、でも、ストライカーっていうのは、仲間がシュートを放った時、俺のところにこぼれてこいって思わなきゃいけないんじゃないかと」
2021年の佐藤寿人は、「フォワード=ストライカー、じゃない」という。敵をストライクする仕事と、“前にいる”という仕事は、必ずしも同じではない、と。その考えが正しいか間違っているかはともかく、どこかフォワードとストライカーを混同しがちだった彼の中で、2つのポジションが明確な違いを持つようになったのは、この減俸提示がきっかけだった。
翌年は22ゴールで得点王
技術的な進化があったわけではない。チームの戦力が劇的に向上し、チャンスの数が増えたわけでもない。むしろ、李忠成がチームを去った分、戦力的には厳しさを増していた部分もあった。それでも、発想をストライカーのそれに特化させた12年の佐藤は、前年度を遥かに上回るペースでゴールを量産し、22得点で得点王に輝いた。そして、新監督として就任した森保一や気心しれたチームメイトたちと、優勝の美酒を味わうことになった。
佐藤はそれからさらに3年、シーズン2ケタ得点を続けた。33歳のシーズンを最後にこの偉大な記録は途切れてしまったが、「出場機会さえあれば取れてたと思います」と気負うことなく彼は言う。ストライカーにとって必要なのは出場機会、という考えは、現役を退いたいまもまったく変わっていない。