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難病と闘うオリックス西浦颯大(22)早すぎる引退「ずっと、プロ野球選手が将来の夢」恩師・馬淵監督も惜しがる才能
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2021/09/30 11:06
9月28日、ウエスタン・リーグ広島戦で引退試合を行った西浦颯大。最終回、1球限りの出場となったが、センターの守備についた
西浦は明徳義塾高校から2017年のドラフト6位で入団した、プロ4年目の22歳。1年目に一軍で初安打を放ち、2年目は2番・センターで開幕スタメンをつかみ、77試合に出場した。
しなやかで、速く、強く、なんて野球の才能に恵まれた選手だろう。そんな印象だった。
しかし昨年、大腿骨の先端部分が壊死し、股関節などに痛みが生じる国指定の難病「両側特発性大腿骨頭壊死症」と診断された。
骨盤の骨を両足の大腿骨頭に移植する手術が必要で、手術から退院まで約半年、歩けるようになるまでに約1年を要するとされていた。同じ病気の手術をしたアスリートの前例はなく、医師からは「復活できる可能性は低い。8割強は無理」と言われた。それでも西浦は、「僕が一番最初に復活してやろう」と、長く過酷な治療に立ち向かった。
昨年12月と今年2月に行った手術後の回復は早く、退院は今年4月17日。当初の見込みより2カ月以上早かった。だが退院後、思うように回復が進まず、8月には「厳しいんだろうな」と感じていたという。レントゲンを撮ると左足が悪化していた。医師に「厳しい」と告げられ、「じゃあ引退します」と即決した。手術後約8カ月での決断だった。
恩師・馬淵監督「残念やなあ」
8月28日にティー打撃の映像をSNSに投稿した時にはもう、引退することを決めていたが、最後まであがいた。
「僕の一番の思いとしては、打席に立ちたかったんです。結局立てなかったんですけど、立つために、本当はダメなんですけどティーバッティングとかをしていました。もし立てる時がくるならと思って練習をしていたんですけど、ダメでした。
(昨年医師に)8割強無理って言われたんですけど、『俺ならいけそうだなー』って思っていた。でも、無理でしたね」
引退試合のあと、少し寂しそうに言った。だが絶望感や悲壮感は漂わない。
「お医者さんから厳しいって言われて、自分でも無理ってわかりながら、グダグダやるのはダメだなと思って、そこはけじめをちゃんとつけて、次の道に行くことを決めました。寂しさはもちろんありますけど、自分で決めたことだから、クヨクヨしてもダメなんで、キッパリ、意志は強く持っていましたね」
まっすぐ前を見据えて言った。淡々と、しかし強い意志が伝わってくる。
ただ、あれだけの才能を見せつけられた周囲のほうが、どうしても悔やんでしまう。
明徳義塾高の馬淵史郎監督には、「お前の身体能力なら、復活すると思ってたけどなあ。残念やなあ」と惜しまれたという。