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「同期は大きな見出しに…」大野拓弥が15年前の新潟2歳Sで痛感した“ジョッキーは勝ってナンボ”という真理《JRA通算600勝も突破》
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/09/04 06:00
2014年のスプリンターズSを勝利し、同年の香港スプリントに挑戦したスノードラゴンと大野拓弥騎手
芦毛馬スノードラゴンとの出会い
この重賞初制覇が合図になったかのように、大野はポンポンと勝ち始める。翌12年にはトランスワープとのタッグで函館記念(GIII)を勝利すると、続く新潟記念(GIII)も優勝。コンビで重賞を連勝した。
更に13年にはヒットザターゲットで小倉大賞典(GIII)を、インカンテーションとのコンビではレパードS(GIII)を制覇。年間の勝ち鞍も50近くまで伸びるなど、成長をみせた。
そんな頃、この伸び盛りのジョッキーへの依頼が増えた厩舎があった。
「最初の頃は普通に騎乗依頼が来て受けたという感じでした。でも、よく乗せてくださるようになり、調教も毎週、乗せてもらうようになりました」
それが美浦・高木登厩舎だった。
そんな流れの延長で13年の暮れに高木から依頼を受けたのが、芦毛馬のスノードラゴンだった。
「初騎乗はダートのカペラSでした。調教でも乗らず、レースが正真正銘の初騎乗。それまでのレースぶりからワンパンチ足りない印象があったので、少し溜めて行く競馬をしました」
結果、勝つ事は出来なかったものの直線で鋭い追い込みをみせて2着に健闘した。
「『こんな脚を使えるんだ!!』という感じでイメージが変わりました」
そこで2度目のタッグとなった14年のジャニュアリーSでも後方から進めた。すると……。
「またも良い脚を使い、今度は楽々と差し切ってくれました」
やっとGIを勝てて、思わずガッツポーズが出ました」
その後、4度目のコンビでは初めて芝のレースに出走。するとここでもよい末脚を披露して2着。続く高松宮記念(GI)でまたも2着に好走した。
「勝てなかったのは残念だし、悔しかったです。ただGIだし、直線に向いた時には正直絶望的と思える位置だったにもかかわらず、良く追い上げて、終わってみれば2着まで来た。これはこちらが考えている以上に凄い馬だと感じました」
その考察が間違っていない事は、秋にすぐ証明される。スタンド改修工事のためこの年は新潟競馬場で行われたスプリンターズS(GI)にスノードラゴンは出走。直前のキーンランドC(GIII)で8着に負けていた事もあり13番人気と人気を落としていたが、大野は「一発があるかも……」と考えていた。
「キーンランドCの時は夏場に爪を痛めた影響があったのか、返し馬から今一つでした。でも、スプリンターズSの直前はだいぶ良くなっていると感じたので、期待を持っていました」