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「同期は大きな見出しに…」大野拓弥が15年前の新潟2歳Sで痛感した“ジョッキーは勝ってナンボ”という真理《JRA通算600勝も突破》

posted2021/09/04 06:00

 
「同期は大きな見出しに…」大野拓弥が15年前の新潟2歳Sで痛感した“ジョッキーは勝ってナンボ”という真理《JRA通算600勝も突破》<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

2014年のスプリンターズSを勝利し、同年の香港スプリントに挑戦したスノードラゴンと大野拓弥騎手

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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Satoshi Hiramatsu

 先週は新潟競馬場で新潟2歳S(GIII)が行われ、セリフォスが優勝。今週末は小倉で小倉2歳S(GIII)が開催される。この両レースが1週違いで行われるようになってもう10年が経つ。2011年より前には、この2つの2歳重賞は同じ日に行われていた。

 06年、そんな2つのレースをつなぐ、ある出来事が起きていた。

いきなり落馬したデビュー戦

 大野拓弥が埼玉県で生まれたのは1986年9月8日。間もなく35歳になる。

 4人兄弟妹の次男として育てられ、小学6年の時に兄弟と一緒に乗馬を始めた。

「父が競馬ファンでよく競馬場へ連れて行ってもらいました。そうこうするうち自分も騎手に憧れるようになり、乗馬を始めました」

 中学卒業時に競馬学校を受験すると見事に合格。3年後の05年、美浦・杉浦宏昭厩舎から騎手デビューを果たした。

「デビュー戦はいきなり落馬でした。走り去って行く馬達をみて『あぁ~』とショックを受けたのを覚えています」

 しかし翌週には初勝利を挙げると、初年度は11勝。民放競馬記者クラブ賞を受賞した。

「必死でした。賞をいただけたと言っても凄く沢山勝てたわけではないですし、とても満足する気にはなれませんでした」

 2年目は31勝とジャンプアップ。その後もコンスタントに数字を残すようになったが、やはり「満足した事はない」と続けた。

 デビュー5、6年目の09、10年は17勝、14勝と勝ち鞍が減ったが、その翌年の11年はその時点での自身の年間最多勝を更新する34勝をマーク。暮れも押し迫った12月にはコスモファントムを駆って中日新聞杯(GIII)を優勝。デビュー7年目で自身初となる重賞制覇をマークした。

「ジョッキーは勝ってナンボという商売ですからね。それを思うと自分としては凄く時間がかかってしまったという感じだったので、当然、嬉しかったです」

【次ページ】 芦毛馬スノードラゴンとの出会い

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