パラリンピックへの道BACK NUMBER
《メダルは計20個》追突事故で「体温調節も困難」から始まったパラ競泳・成田真由美の伝説 数カ月の入院、3度の手術、一度は引退も…
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2021/09/01 11:02
東京大会が6度目のパラリンピックとなった成田。これまで計20個のメダルを獲得してきたレジェンドが迎えた集大成だった
「自分が考えていた以上の競泳人生」
そんな思いを抱きつつ、迎えた東京で、すべてのレースが終わった。
「自分が元気よく生まれてきて、障害と病気を与えてもらって、大嫌いだった水泳が大好きに変わって、たくさんの人に出会えて、パラリンピックにも6回出場して、感謝の気持ちでいっぱいです」
数々の困難があって、ときには理不尽にも思える出来事もあり、それでも泳いできた。日本代表として、長年にわたり、第一線に立ち続けた。人生のうち半分以上は競技とともにあった。
その原動力は何か。北京大会のとき、成田は「挑戦に終わりはありません」と語っている。その言葉の通り、挑戦し続ける意志が支えとしてあった。実行し続けるほどの強い意志があった。
そしてその足跡は、失ったことに目を向けるのではなく、得られることに目を向けることで、続いてきた競技人生でもある。
「自分が考えていた以上の競泳人生を送ることができたので、すごく幸せでした」
使命感も抱きつつ、好きな水泳に打ち込んできた成田が到達することができた境地がそこにあった。