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〈秘話〉有馬出走直前「おい、お前オグリキャップやからな」 武豊の一喝が“芦毛のアイドル”を伝説の名馬にした
text by
秀間翔哉Sanechika Hidema
photograph byTomohiko Hayashi
posted2021/09/04 17:01
日本中のファンを虜にした稀代のアイドルホース・オグリキャップ
多くの人の手に一時代を築き上げた日本競馬界きってのアイドルホースへの“惜別の記念馬券”が握り締められていたことはほぼ間違いなく、純粋な4番人気でないことはその場にいた誰もがわかっていた。
レース直前のゲート裏、最後の手綱を託された武豊は少し気の抜けた様子だったオグリキャップの首筋を叩き、「おい、お前オグリキャップやからな」と声をかけたという。するとオグリキャップは全盛期と同じように武者震いをしてみせ、勝負のゲートに入っていった。
「オグリキャップ引退レース。最後のレースです!」
その声とともに、スタートは切られた。中盤まではオグリキャップの引退レースということ以外、何の変哲もない時間が過ぎていったが、2周目の3コーナー、残り800mを通過したところで実況がゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力比べが始まります」
そのセリフがまるでスイッチだったかのように、空気が一変する。
オグリキャップが自分の意思で動いているかのように、馬なりのまま馬群の外目をスーッと上がっていく。
直線に向いた時、目の前に広がるその光景に中山競馬場が揺れ始めた。終わったはずの馬が、オグリキャップが先頭に立って後続を引き連れた。
「ライアン!」
解説席の大川慶次郎氏が外からメジロライアンが迫り来ることを知らせたが、もはやレースを見ていた誰の目にもその姿は見えていなかった。
武豊が左手の握り拳を突き上げた。
敗れた馬の騎手たち「オグリに勝たれたなら仕方がない」
「オグリ1着! オグリ1着! オグリ1着! オグリ1着!」
実況がその場に起きた奇跡を繰り返し言葉にすると、中山競馬場に詰めかけた大観衆が沸点を迎え、膨張した。
目の前を駆け抜けたスターに最後の賛辞を送らんと、どこからともなく声が沸き、嗚咽が漏れ、拳が上がり、やがてそれは一つになって競馬場を包み込んだ。