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19歳四十住さくらがスケボーで金 恩師が証言する“負けず嫌い伝説”「5時間滑り続ける」「テレビは一切見ない」
posted2021/08/04 17:04
text by
吉田佳央Yoshio Yoshida
photograph by
Getty Images
「すごく芯のある子だな」
四十住さくらというスケートボーダーを初めて見た時の第一印象だ。
時は2016年の6月、韓国で開催されたASIAN OPENというコンテストでの一コマである。ただこの時の種目は女子ストリート。まさかこの5年後に彼女が東京オリンピックで、しかもパーク種目で金メダリストになるとは思いもしなかった。ただ出場理由を聞くと至極納得してしまった。
「その頃は単純にパークスタイルがなかったんです。彼女はもともとトランジション(アールやランプといった湾曲した滑走面の形状の総称)が好きだったんですが、結果を残して実績を作るっていうところでは女子ストリートしかなかった。結果を残さなければサポートの声もかからない。それであればたとえ種目が違っても勝つための努力を厭わない。それが四十住さくらなんです」
そう話すのはプロスケートボーダーの上田豪さん。四十住を小学校時代から見続け、サポートし続けてきた。
筆者はそれから1年後の2017年10月の全日本アマチュア選手権でも、先週の女子ストリート金メダリストの西矢椛、銅メダリストの中山楓奈を抑えて彼女が優勝している姿を目撃している。この言葉とそのシーンが頭の中でシンクロしたのだ。
「毎日何時間も練習し、マシーンのように滑り続ける」
上田さんが彼女に初めて会ったのは三重県のFIVE CROSSスケートパークだった。当時は今以上に女子が少なかったのにも関わらず、休憩もせずにひたすら練習している女の子がいる。当時小学6年生の四十住だった。
「とにかく負けず嫌いで純粋。毎日何時間も練習し、マシーンのように滑り続ける。そんな子が世界で結果を出しそうになってきているところを見て、手助けせずにはいられなかった」
国内大会で結果を残し、徐々に世界大会へも参戦するようになっても、なかなか彼女をサポートできる人がいなかったという。そこで上田さんは自身の築き上げてきたキャリアから、アメリカでトッププロとして活躍したウィリー・サントスと四十住を繋げた。さらなる世界への挑戦を支えたいという思いだった。
上田さんは、彼女と一緒にスケートボードをした時のエピソードも楽しそうに話してくれた。