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「左足は脱臼し、右手中指はえぐられていた」ソフトボール上野由岐子(39歳)が語っていた13年前“あの413球の裏側”
posted2021/07/26 17:08
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
JMPA
13年前の北京五輪で、ソフトボール日本代表を悲願の金メダルに導いた上野由岐子。当時26歳のエースは2日間で413球を投げ抜いた。東京五輪初戦翌日(7月22日)に39歳になった上野が13年前、あの413球について語っていたこと(小さな事件編へ続く)。【初出:『Number』2008年12月25日号】
<北京五輪において、これほどまでに金メダルへの渇望を感じさせる競技は他になかった。前大会までの無念。次のロンドン五輪より正式種目から外れるという事実。そして、日本には上野由岐子がいた。そう、もっとも欲しいときに、もっともその可能性が高い投手がいたのだ。それだけに上野の右腕にかかる重圧は計り知れないものがあった。>
――改めて北京五輪の戦いを振り返ってみると、本当に綱渡りのような場面がいくつもありました。
上野 正直、神様って本当にいるんだなって思いましたね。それぐらい、いろいろなことがうまくいった。結果が出たから、あれがよかったんだと言えている部分はあると思います。
――決勝トーナメントは結果的に2日間で3試合、トータルで413球を投げることになったわけですが、最初から3試合になっても全部投げるつもりだったのですか。
上野 北京では投げれば投げるほど調子が上がってきていた。だから3試合になっても怖くはなかった。むしろ、3試合目になったら、もっといい投球ができるんじゃないかという予感があったんです。
左足は脱臼していたんですよね?
――でも、同じ日に行われた準決勝のアメリカ戦(延長9回)、3位決定戦のオーストラリア戦(延長12回)ともに延長戦になったのは想定外だったのでは。
上野 確かにオーバーワークでしたね。2試合を終えたときは、左足の付け根が痛かったり、右手中指の皮がむけてしまったりと、身体的にはダメージがあった。でも精神面は弱っていなかったですよ。明日も任せろ、って。
――左足は脱臼していたんですよね。