バレーボールPRESSBACK NUMBER
歩くことさえできなかった少年がVリーガーになるまで「人生はきっかけ次第で好転する」…春高で輝く柳田将洋のプレーに憧れて
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2021/07/12 11:02
VC長野トライデンツに所属する戸嵜嵩大(26歳)。中学生時代に患った病を乗り越え、日々コートでのプレーを楽しんでいる
両親に勧められて、駒澤大学高校の学校見学に行ったことだ。
戸嵜は闘病生活中に身長がグングンと伸びて190cm近くにまで到達していた。そんな杖をつきながら歩く長身の少年に、バレーボール部の戸田光信監督は「大きいね! 何やっていたの?」と思わず声をかけたという。
「バレーボールを少し……」
戸嵜がそう話すと、戸田監督はすぐさま「うちの高校に入ったらバレー部に入らないか?」と勧誘した。
春高バレーの出場経験もある駒大高に入れば、練習もさらに厳しくなることは容易に想像できた。既にバレーボールを嫌いになりかけていた戸嵜にとって、当時は決して魅力的な誘いとは感じなかった。
「考えておきます」
その時は言葉を濁して、帰宅した。
柳田将洋を見て「こんな世界もあるんだ」
もうひとつの運命的な出会いが続いた。高校進学を控えた2011年1月、中学時代の顧問とOBの応援のために春高バレーを観に行った時のこと。その時、ある1人の選手のプレーに目を奪われた。
「カッコイイし、スパイクのフォームもメチャクチャきれい。ファンも既に多くついていて、こんな世界もあるんだ」
当時、東洋高校のエースとして活躍していた柳田将洋(サントリーサンバーズ)だった。
後に日本を代表する選手になる柳田のプレーを観た戸嵜は「俺もあんな風になりたい」と憧れを抱いた。一度は保留した決断だったが、戸田監督にすぐに電話して「バレーをさせてください」とハッキリ伝えた。
「勧誘の時に優しかった戸田先生も、入部したら毎日メチャクチャ厳しくて騙されたと思いました(笑)」と高校時代を振り返るが、憧れの柳田を通学中に目撃したことも励みになり、なんとか歯を食いしばって練習に食らいついていった。
「まともに動けない時の方が遥かに辛かったので」
同世代の選手たちの中でもその“忍耐力”は際立っていた。