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ドラ1だった“78歳おじいちゃんコーチ”松岡功祐が独立リーグでノックを続けるワケ「私にも夢があるんですよ。それは…」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byEijinho Yoshizaki
posted2021/07/20 17:02
御年78歳にして今もなおバットを振り続ける松岡功祐コーチ
1943年に熊本に生まれ、九州学院高から明治大に進んだ。170センチと小柄ながら、4年の時にリーグ戦で打率2位と攻守が評価され、ベストナイン入り。卒業後サッポロビールに入社し、都市対抗野球で活躍すると、1966年に大洋ホエールズからドラフト1位で指名された。
「プロに入ったら、とんでもない場所に来たなという感じでした。体の大きな選手がものすごいパワーで打球を飛ばす。自分は……とにかく元気よくやり、守備ではエラーをしないことを考えましたね」
大洋一筋の11年の現役生活を34歳(1977年)で引退。通算800試合出場、358安打で通算打率は.229だった。
いっぽう、その後の野球との関わりのほうがはるかに長い。
「ありがたいことに、野球界とのご縁が途切れたことがないんですよ」
NPBだけで数えても、選手時代を含め46年の時を過ごした。
指導歴46年、阪神・糸原やオリ福田も教え子
78年、大洋でのスコアラーを経て79年から二軍守備走塁コーチに就任。89年まで一、二軍双方でコーチを務めた後、90年からスカウトに転身。07年に横浜退団後は、中国の天津ライオンズ、明治大学、中日ドラゴンズでコーチを続けた。明大時代の4年間では20人がプロに行き、そのうち5人がドラフト1位だった。「徹底的に教えた選手」としては現阪神の糸原健斗、オリックスの福田周平(NTT東日本でプレー後にNPB入り)などがいる。
2019年、中日コーチを退いた後、2020年6月から地元・熊本の高校でコーチを務めていた。そこに新球団からのオファーが届いた。「高校生には本当に申し訳ない」と思いつつ、サラマンダーズの総合コーチに就任した。
2021年7月現在、ノックバットを握るのは自らも望むところだ。
「ずっとやってきたことですからね。中日時代も寮長と二軍野手育成コーチを兼ねていたので、若い選手に向けて打ってきましたし。明大時代も含め、若い選手と共に寝泊まりして、いっしょにやってきたんですよ」
「体力的にちょっとキツい」と思うことはある
今年リーグがスタートした九州アジアリーグは、現在のところサラマンダーズと大分B-リングスの2チームのみが加盟している。両チームの公式戦36試合のほか、他地域の独立リーグやソフトバンクの三軍との交流戦などを戦う日々だ。
休み休みではなく、連日、試合前の練習でノックを打ち、コーチャーズボックスに立つ日々なのだ。ましてやNPBのように恵まれた環境にもない。独立球団ゆえ「ここから這い上がること」がチームの目的のひとつでもあるからだ。
松岡自身も確かに「体力的にちょっとキツい」と思うことはある。