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柳田将洋、東京五輪落選から今思うこと「まだバレーボールをやりたい。頑張れそうだ、って」選出12名にもエール
posted2021/07/06 11:02
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
MATSUO.K/AFLO SPORT
本日7月6日に29歳となった柳田は今、何を考えているのか。仲間たちへのエール、そして新たに見据える野望とは……。独占インタビューの模様を全2回に渡ってお届けする(#2はこちら)。
思えばいつも、柳田将洋は冷静だった。
観衆からの声援が飛び交う試合終盤、しかも相手が1点リードするような緊迫した場面でも涼しい顔でサーブを打つ。それもミスを恐れた安全策ではなく、確実に得点をもぎ取るために攻める、勝負の1本だ。日本代表のみならず、Vリーグでも、ドイツでも、ポーランドでも同じ。アウェイのブーイングが飛び交う状況でも、いつも通り、淡々と自分の仕事をこなす。
勝っても負けても試合後の分析は的確で、声を荒らげるようなことはない。
あの時もそうだった。
5月9日、高崎アリーナで行われた日本代表の紅白戦。試合後、メディアからリクエストを受けた柳田が記者会見の場に現れた。東京五輪の代表入りをかけた熾烈なメンバー争いに置かれる自らの立ち位置や課題を冷静に、わかりやすく述べていた。
「もちろん、悔しかった」
東京五輪出場が実質上、絶たれたのはその数時間後だった。本大会に臨む12名に入るには、5月28日からイタリアで行われるネーションズリーグの登録選手17名に入らなければならない。しかし、紅白戦を終えた日の夜、柳田はチームから「今回のメンバーには入らない」と告げられた。
厳しい世界なのだからどんな結果もあり得る。とはいえ、さすがにショックだったのではないか。当時の心境をたずねる。やはり、柳田は冷静だった。
「有明(アリーナでの中国との親善試合)にも行けなかったですし、その結果がすべて。これまで代表にいたからといって、確実にオリンピックの切符があるわけじゃないとは思っていた。コンディションを上げられなかったし、アピールしきれなかったのは自分もわかっていたので。出すべき時に、自分がいいところを見せ切れなかったのも、自分の実力が足りなかったから。生き残りたい気持ちはもちろん強かったけど、結果は覆らない以上、ポジティブに捉えるしかない。キャリアを重ねる中で、こういうことも起こり得るんだな、と思いました」
ネガティブな感情を表に出すのは好きじゃない。そう言いながら、ふと漏らす。
「もちろん、悔しかったですけどね」