ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
1987年、ジャンボ鶴田をキレさせ怪物にした男 「口から血が出て人相が変わって。『これは、やべえ』と思ってね(笑)」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2021/06/25 06:00
“善戦マン”、“サラリーマンレスラー”などと揶揄もされたジャンボ鶴田だが、覚醒した瞬間があった
鶴田は「やっぱり怪物であり、天才ですよ」
そんな仲野の鶴田評は次のようなものだ。
「ナチュラルな強さは鶴田さんがずば抜けていると思います。試合会場で鶴田さんが練習してるの見たことないですもん。チューブを引くトレーニングをちょっとするのと、あとは柔軟体操だけですから。それでいて長州さんと60分フルタイムやっても、試合後、平気な顔してましたから。やっぱり怪物であり、天才ですよ」
仲野はその後、1990年にメガネスーパーが作った新団体SWSに移籍。90年代半ばには「レッスル夢ファクトリー」で、選手兼鬼コーチとして若手選手を鍛え、2001年に藤波辰爾が主宰する『無我』のリングで引退した。現在は運送業の仕事をしながら、住居のある長野県下で時折試合をしている。
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そして全日本の6.26大田区での「ジャンボ鶴田メモリアルマッチ」にも出場が決定(渕正信、越中詩郎、高杉政彦、土方隆司vs仲野信市、西村修、SUSHI、力の8人タッグマッチ)。
基本、長野県下でしか試合をしないと決めている仲野が、東京での試合に出場するのは「ジャンボ鶴田メモリアルマッチ」だからこそ。そして50代後半となった今も、めったにない試合のたびにプロとして恥ずかしくないコンディションを作ってくることで知られる仲野だけに、6.26大田区でもきっと「鶴田を本気にさせた男」の片鱗を見せてくれるはずだ。