ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
1987年、ジャンボ鶴田をキレさせ怪物にした男 「口から血が出て人相が変わって。『これは、やべえ』と思ってね(笑)」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2021/06/25 06:00
“善戦マン”、“サラリーマンレスラー”などと揶揄もされたジャンボ鶴田だが、覚醒した瞬間があった
天龍革命の前に鶴田をキレさせたレスラー
その鶴田を、じつは天龍革命が起こるよりも前に試合中にキレさせ、その怪物性を引き出したレスラーがいる。当時、ジャパンプロレスの若手有望株だった仲野信市だ。
仲野信市は、1980年に新日本プロレスでデビュー。ヤングライオン時代は同期のライバルだった高田延彦(当時・伸彦)らとしのぎを削り、84年に新日本退団後、85年1月からは長州力らとともにジャパンプロレスの一員として全日本に参戦。その後、87年春に長州たちが新日本に復帰したあとも全日マットに残り、ジャパンプロレスのナンバー2として谷津嘉章のパートナーに抜擢された。
そんな時に組まれたのが、1987年4月23日の新潟市体育館でのジャンボ鶴田&天龍源一郎vs.谷津嘉章&仲野信市のタッグマッチだ。
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この試合で、仲野がコーナー最上段から放ったミサイルキック(ドロップキック)が鶴田の顔面を直撃。これによって口と鼻から出血した鶴田は明らかに顔色が変わり、仲野を力づくでマットに叩きつけると、ジャンピングニーパッドを鋭角的にアゴに突き刺し、最後は急角度のバックドロップで投げ捨て、仲野をKOした。
この時の鶴田のジャンピングニーパッドとバックドロップは、明らかに普段と比べて、スピード、角度ともに鋭く強烈な一撃。鶴田の真の恐ろしさが垣間見られたのと同時に、仲野も「あの鶴田を怒らせ、本気にさせた男」として、注目された。ある意味での出世試合となったのだ。
「そんなことをしてないで、みんなと一緒に練習しろ」
以前、筆者が仲野にインタビューした際、あの“鶴田をキレさせたミサイルキック”は、じつは全日本プロレスの総帥ジャイアント馬場のアドバイスによるものだったと語っている。
「長州さんたちが新日本に戻り、ジャパンプロレスが事実上、全日本に吸収されたあとも、僕は意地を張って全日本の合同練習には参加せず、一人でスクワットしたり、走ったり、基礎的な練習をしていたんですよ。
そうしたらある日、馬場さんから『そんなことをしてないで、みんなと一緒に練習しろ』『お前は、コーナーからのドロップキックを練習してみろ』って、言われたんです。それからハル薗田さん(故人)にコーチしてもらって、毎日、ドロップキックの練習をやるようになって。そんな時に鶴田さんとタッグで当たったので、『ドロップキックを練習した成果を出すぞ』と思ったんですよ」