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箱根駅伝に出場するケニア人留学生はこうして日本に来る “稼げる実業団”より“稼げない大学”を目指す留学生が増加する理由
posted2021/06/19 11:02
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph by
Sankei Shimbun
6月19日の全日本大学駅伝関東学連推薦校選考会は参加20校中9校でケニア人選手がエントリー。学生駅伝をめぐる戦いにおいては、留学生が欠かせない存在になっている。
昨年10月の箱根駅伝予選会では、国士大、山梨学大、拓大、駿河台大、日大、平成国際大、日本薬科大、桜美林大の8校がケニア人選手を起用。今季は流経大が13年ぶりに留学生を入学させただけでなく、専大と大東大が初めて留学生を招聘しているのだ。
箱根駅伝でケニア人留学生が初登場したのは1989年。山梨学大のジョセフ・オツオリの快走に日本中が度肝を抜かれた。花の2区で7人抜きを演じてトップを奪い、区間賞も獲得したのだ。その後、山梨学大は日本人選手も急成長。箱根駅伝では1992年に初優勝を飾り、1994年・1995年には連覇を果たすことになる。
男子5000mの上位はケニア人留学生が独占
一方、高校陸上界にもケニア人留学生がやってきた。筆者が高校1年生(1992年)のときだ。仙台育英高にダニエル・ジェンガとジョン・マイタイが入学して、その強さに驚かされた。
2人は高校1年時の春に出場した5000mをそろって14分08秒台(当時の高校歴代4位相当)で走破したのだ。筆者が高校1年時の6月頃に初めて走った5000mが18分台だったことを考えると、その衝撃を理解していただけるのではないだろうか。
1990年代前半はまだまだ珍しい存在だった留学生ランナーは、次第に大学、高校の長距離界ですさまじい力を発揮するようになる。大学は冒頭で紹介した通り。高校でいえば、インターハイの男子5000mは一昨年までケニア人留学生が27年連続で優勝をさらっている。昨年度(2020年)の高校ランキングを見ると、男子5000mの上位はケニア人留学生が独占。100位以内に12人の留学生が入っている。なお中長距離以外の種目で、外国人選手の名前は見当たらない。「駅伝」という人気種目で、学校名をPRしたい経営者側の思惑が影響しているのだ。
では、来日するケニア人留学生はどのようにしてやってくるのだろうか。