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松井秀喜と大谷翔平の“ケタ外れな長打力”だからこそ… 「30年で2人」しか成し遂げなかった東京ドームでの“偉業”とは
posted2021/06/12 11:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Hideki Sugiyama
1988年2月7日午前6時。
私は沖縄・恩納村にあるホテル・ムーンビーチの駐車場にレンタカーを置いて、海岸に向かって歩いていた。中日のキャンプは早朝の散歩から始まる。それを取材するために、当時、報知新聞の中日担当記者だった私は、眠い目をこすって毎朝、ホテルに駆けつけていた。それが番記者の1日の最初の仕事だったからである。
ところがホテルの建物に入るか入らないかのところで、血相を変えた中日の大越広報部長(当時)が飛んできた。
「ワシダッ、大変なことになった!」
大越部長がまくし立てる。
「監督が朝食のときに今朝の報知を見て凄まじい勢いで怒っているんだよ。いま顔を合わせたら大騒ぎになる。練習が始まるまでに何とかオレがなだめておくから、今日はここで帰れっ!」
監督とはこの年、就任2年目を迎えた星野仙一さんだったのである。
そして星野さんが読んだ記事とは……。
星野監督が怒った「ボールが消える」問題
いつもは巨人一色の報知新聞だが、実はこの日の1面は中日の原稿だった。
当時の沖縄では報知新聞は売られていなかったが、球団が毎朝、名古屋からファックスで各紙の紙面を送ってきていた。それを読んだのだ。
見出しは「星野 吠えた 痛烈ドーム批判 何とかせぇ巨人」である。
この年の3月に日本で初めてのドーム球場である東京ドームが開場することになっていた。なにせ日本で初めてのエアドームの球場だ。
それがどんなものなのか、誰もが分からないことが一杯あった。そこで球界でも様々な憶測が流れていたのである。
その中でも特にまことしやかに囁かれていたのが「東京ドームではボールが消える」という話だった。