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“赤土の王者”ナダルが35歳に 全仏恒例の「特大ケーキで祝福」は16年前のフェデラー撃破から始まった 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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posted2021/06/03 06:00

“赤土の王者”ナダルが35歳に 全仏恒例の「特大ケーキで祝福」は16年前のフェデラー撃破から始まった<Number Web> photograph by Getty Images

6月3日はナダルの誕生日。全米オープンではナダルを特大ケーキとともにお祝いするのが恒例イベントになっている

 それから2カ月で迎えた3度目の対戦の舞台がローランギャロスだった。初めてのクレーコートでの対決をナダルが6-3、4-6、6-4、6-3で制した。

 試合後の記者会見が終わると、ドアが開き、2メートルをはるかに超える大きな男性がカートにバースデーケーキを乗せて登場した。男性はナダルの同郷の友人であり、当時NBAのメンフィス・グリズリーズに所属していたパウ・ガソルで、会見場は驚きに包まれたが、すぐに皆でハッピーバースデーを歌って祝ったのだった。

 はじめからそれほどナダルが愛された理由は、ローランギャロスがこの若きスターのデビューを待ち侘びていたからだろう。

 16歳だった2003年のクレーシーズンでブレークしたナダルだが、その年の全仏オープンは練習中に負った左肘のケガのために出場できなかった。さらに翌年もほぼ同じタイミングで左足首の疲労骨折により断念。2年遅れの初出場のときにはもう世界5位になっていた。4月からクレー3大会に連続優勝し、初出場にして本命という立場で赤土の〈聖地〉に現れると、ノースリーブのシャツにカプリパンツ、長髪にバンダナという出立ちと、炎のような、鋼のようなプレースタイルでファンを熱狂させた。バースデーケーキはこの先長くローランギャロスの王に君臨するであろう若者を迎えた喜びの表れだった。

 誕生日の儀式は慣習化したが、その日を待たずに大会を去った年がこれまでに2回ある。4回戦でロビン・セーデリングに敗れた2009年と、3回戦を前に棄権した2016年だ。しかし、それ以上に重く辛い誕生日となったのが2015年だった。

2015年6月3日、“宿敵・ジョコビッチ”に負ける

 6連覇、そして通算10度目の優勝がかかっていたこの年、29歳を迎える6月3日に行われたのは、もう一人の宿敵ノバク・ジョコビッチとの準々決勝。2011年に初めて世界1位に上り詰めたライバルの手から、この城だけは守ってきたナダルだが、このときは1セットも奪えず、5-7、3-6、1-6とまさかのストレート敗けを喫した。

「こういう誕生日は望んでいなかったと思うけれど、今朝から不安のようなものはあったのか」という質問に、こう答えた。 

「いつも不安だよ。この11年間、ずっとね。それで9回優勝して負けたのは2回。つまり、人生に不安は大事だってことだ」

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